この星降る夜に、夢を。



3.

 “愛”に似ているか、近いもの、そして形やにおいがなく、眼に見えないもの。
 こうして並べてみると、ますます謎々っぽい。
 シャルルの顔を思い浮かべながら、紫色の霧の中をあたしはさ迷う。歩く度に舞い踊る雲に心を掻き乱されながら、考え、考え、進む。何日も悩んだけれど、その時々で考えは変わった。ある時は、シャルルはあたしからは何も欲しくないんじゃないかと思い、またある時は、ロジェの言う通り愛が欲しいんじゃないかと思ったりもした。浮かんでは消え、咲いては散る。あたしの考えは常に変わり続け、なかなかこれとだと思うものに当たらない。
 そんな連日静かなあたしの様子に、研究室の皆は訝しげな視線を投げ掛けてきた。見た限りでは分からないと悟ると、次に彼等は同じ疑問を抱いている同僚に視線を送り、誰もその理由を知らないことが判明すると、彼等はそろそろとシャルルに視線をやった。疑いの眼差しだったそうである。あたしは全く気付かなかったけれど、この時、部屋の中は妙にざわついていたらしい。後にロジェが、何故かニヤニヤしながら教えてくれた。
「マリナ・イケダ!」
「…………はいっ!」
 ぼうっとしていたあたしは、シャルルの冷たい氷のような声で、我に返った。
「そんなに暇なら、仕事をやる。この資料のコピーをとってファイリング、そしてこの本を図書室へ返却しておけ。それが終わるまで帰って来るな」
 見れば、積み上げられた紙の束と、バランスよく重ねられた多量の本が、その存在を主張するように置かれている。仕事はいいけれど、これを女のあたしがひとりで運ぶのは……。恨みがましく思ってシャルルを見つめていると、ひとつ溜息を吐いてから、台車を使えばいいという言葉をもらって、あたしはゴロゴロ音を立てながら、気分よく研究室を後にした。
 コピーという単調作業をしながら、何気なく追加されたシュレッダーも同時にこなし、あたしは騒々しい中でぼんやりと、今日のシャルルはいつもより優しかったなぁなどと思っていた。常時だったらきっと、外に追い出されているに違いない。――まあ、外に用事がなかっただけかもしれないけれど。だって、先週に行ったばかりだもんねっ。
 ……ああ、シャルルがあたしのことを好きだったらいいのに。
 そうしたら、どんな無体な仕打ちも、愛情の裏返しなのだと、考えることが出来るのに。
 それは、幾度となく繰り返し思ってきたことだ。
 そう思っているけれど、たとえ恋人として選んでもらえなくても、あたしのことをちゃんと見て決めてくれた答えなら、受け入れる準備はいつでも出来ている。シャルルがあの時、最後にしてくれたように振る舞うことは出来っこないけれど、だからこそ、あたしは、あの時のシャルルに報いたいのだ。今度はあたしが、彼の役に立ちたい。どんな最後が待っていても、その最後の瞬間まで、あたしは自分が出来ることを全てやってあげたい。出来ることならば、あの瞳を輝かせていたい。
 そう、勝手に頑張りたいだけなのだ。ただ、それだけなのだ。
 胸の奥から何かに責め立てられ、急かされ、彼の為に何かせずにはいられないからだ。
 自分の恋はその後でも構わなかった。その先にあるのが永の別れでも、たとえひとり、星の降る夜の下で泣き叫ぶことになっても、希望が全て消え去るその時まで、あたしはシャルルの傍にいたい。
 傍にいると、決めたのだ。
 あの、星降る夜に。




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