この星降る夜に、夢を。



1.

 恋というものは、手に入らないと燃え盛るものなのだろうか。
 人はそれを執着とどう区別するのだろう。
 自分でもなかなか判然としない気持ちを、どうして自分以外の者が決められるだろう。
 それ故にずっと仕舞っておいた彼への気持ちを、彼女はようやく取り出したばっかりだ。そして自分の気持ちを確かめる為に、彼の元へやって来たという。
 それは本当に恋なのだろうか――と。
 もし、それを目の前で示すことが出来るとしたら、彼はそれを信じるだろうか。

 ――僕は、彼女の言葉を聞きながら、そんなことを考えていた。

「それでね、どうしたらシャルルはチョコレートを食べてくれると思う?」
「めげねいよね、ホント。凄いよ、尊敬する。受け取っても絶対食べてもらえないのにね」
 そんなところは、北極星のようだと思っている。唯一、不動を保つ星のようだと。きっと、彼女の友人達も、迷った時には彼女を目印にしていたに違いない。
「だからっ、今回こそは食べてもらえるように相談してるんじゃないのっ」
 休憩室の床を、彼女は駄々っ子のようにドタドタと踏み鳴らす。悔しさなのか、嫌がらせなのか、もはや僕には分からない。はぁーい、マリナ、僕は食事中だよ。全く気にしないけどっ!
 彼女の訴えを笑い飛ばして、僕は体をぐいっと前に倒し、彼女の顔を覗き込んだ。
「君はどうしてそこまで、シャルルに想いを寄せていられるのかな」
 宇宙には幾億個もの星が存在するように、この星にも幾億人もの男がいる。その中で、何故、彼女は彼にそこまでの想いを抱くのだろう。あんな風に冷たくあしらわれ、邪険に扱われたら、いくら好きな人だったとしても、走って逃げたくなるだろう。ましてや、彼女には、想ってくれる恋人がいたという話があるのに。
「今まで君が贈ったお菓子は全部、冷凍庫行きだよ?」
「最近じゃあ、いくら話し掛けても聞き流されてるわ」
「君のことを見たなと思えば、すっごく冷たい眼だよね?」
「そうそう、この間、資料室から出て来たところでぶつかったら、君には永遠に車の免許なんて無理だとか言って、分厚くて重い本の返却を命じて行ったのよ」
 意味が分からないと言って溜息を吐く彼女は、それでもどこか嬉しそうだ。
 どんな些細なことでも、彼に関わることなら、彼女は冷たくされても嬉しいのだろうか。話してくれることが、視線をくれることが、わずかにも、関わろうとしてくれることが。
「それでもあたしは、シャルルにチョコレートをあげたいの。シャルルがあたしのことを快く思っていなくても、あたしがシャルルを好きなことだけは事実だから。……今更、シャルルを嫌いになんてなれないわよ。それにね、常にあたしがあたしらしいところを表していれば、シャルルもいつかこっちを向いてくれるかもしれないでしょ。だからあたしは、あたしのしたいことをするの!! あたしらしくね!」
 そう言い切った彼女は、光り輝き、僕の眼にもまぶしく映った。
 その時、その後ろのドアの隙間から、今まさにドアを開けて入って来ようとして停止したシャルルの姿を、僕は、見た。心底げんなりしている。呆れているからなのか、いつもの皮肉が口から出て来ない。察するに、シャルルには何か思うところがあるのではないだろうか。
「シャルルには、嫌がられてるけどね。でも、そうして互いのことを知っていくものでしょ。何が好きで、何が嫌いか。どんな考えを持っているのか。多少、強引でもアタックしなくちゃ、何も分からないままだわ。どうせ後悔するなら、しなかったことより、したことを後悔する方が、うんとマシだし、ずっといいわよ」
 懐かしいものを見るような琥珀の眼は後悔した後の痕跡が色濃く残り、その奥底の方で静かに瞬いていた。濃霧の中を手さぐりで歩んで来た者の哀しさをにじませながら、それでも彼女の心は何かを見定め、決意を固めている。凛とした眼差しをしている。真ん中に一本、芯が通っている。それがなければ僕は、彼女がすぐにでも泣いてしまうのではないかと思った。
「だから、冷凍庫行きになっても贈りたいの。それがあたしの意思表示みたいなものだから。今は無理でも、あきらめずに贈り続けたら、いつかシャルルの方が折れて食べてくれるかもしれないじゃない!? 勿論、出来ることなら、冷凍庫が一杯になる前にひと欠片だけでも食べて欲しいんだけど。――お願いよ、ロジェ、その為にはどうすればいいのか、一緒に考えて!!」
「……あ、ああ」
 あまりに勢いに、僕は気の抜けた返事しか出来なかった。彼女がそこまで思っていたとは知らなかった。冷凍室が一杯になったら、僕たちも困る。だから、その前に僕に相談を持ち込んだのだと、理解出来た。シャルルのことしか考えていない訳じゃない。
 ――なんだ――と僕が思ったことを認めよう。彼女はとても魅力的な娘じゃないか。
 そうだ、そうでなければ、いくら若かったといっても、あの人間嫌いのシャルルが彼女のことを好きになるはずないじゃないか。

 今、彼が彼女のことをどんな風に思っているかなんて、僕は知らない。それは誰にも分からないことだ。ひょっとしたら、あの自己分析に長けた男でも、分かってないかもしれない。
 それが「恋じゃない」なんて、誰が言えるだろう。
 友達だと思っていた人物が、ある日、突然、好きな人に変わることだってある。
 だったら、それが、今の彼女の身に起こらないと、どうして言える?
 電話が掛かって来たフリをして休憩室を出ると、そこにいたシャルルと共に階段の前まで移動した。彼の手には、研究中のデータの束。それを僕に渡すと、細かい指導と指示があり、今日はこれから出掛け、もう戻らないという。彼女の言葉や気持ちを聞いていたはずなのに、そのことは一切、触れようともしない。
「シャルル、僕は彼女の見方になることにした」
 それまでは面白そうだとか、これで彼も少しはやわらかくなるだろうと期待して、彼女を応援してきたけれど、今日からは損得関係なく、彼女の味方になろう。
「そこで質問なんだけど、何をもらったら嫌じゃない?」
 女の子は笑顔が一番美しいのだ。




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