この星降る夜に、願いを。



9. 星の降る夜、花の咲く夜。


 あたしはしばらくシャルルを待っていたのだけれど、泣き疲れてしまったのか、はたまた旅の疲れからか、激しい睡魔に襲われた。うーん、どうして冷やしたハンカチを眼に当てているのに、睡魔がやってくるのだろう。睡魔って、意地悪だわ。
 あたしは仕方なく立ち上がり、机の上の電気を消して、よろよろと黒革のソファの所まで歩いた。途端、シャルルの誘うような言葉が頭をかすめ、足取りを鈍らせる。
 『オレに抱かれたい?』
 シャルルに抱かれたいか、どうか、ですって!?
 あたしは勢いよく頭を振って、あの時のシャルルを追い出す。思わずクラリと眩暈がしたけれど、何とか無事にソファの所まで辿り着くことが出来た。
 シャルルがあたしのことを嫌いであろうと、あたしの中でシャルルはもう大きな存在となってしまっている。それを消すことも、止めることも、あたしには出来そうもない。ただ、彼のひと言が心をゆらゆらと揺らせ、揺さぶることが出来るのだ。そんな風に思っているのに……。
「……シャルルのばかやろー……」
 そう呟いて、あたしはソファに頬を埋めた。



 気が付いたのは、まだ夜が辺りを支配していた時。
 ふわりと揺れたカーテンの隙間から、キラキラと星が輝いているのが見えた。ゆっくりと首を巡らせると、あたしはようやく自分のいる場所が眠りについた場所とは違っていることに気が付いた。たとえば、さっきの部屋は研究室というだけあって薬品のにおいがしたり、カルテや医学書があったりして落ち着かない場所だったんだけど、ここにはそういった物が一切なく、あたしが横になっていたベットや、簡易だけれどしっかりしたキッチン。そういう生活感にあふれるものが、この部屋にはあった。
 この部屋は誰の部屋なのか、掛けてあるジャケットで見当がついた。
 淡く浮かび上がる夜の中で、静かに時を刻む秒針の音が静けさを物語っている。月明かりを頼りに、あたしは眼鏡を探し当て、傷に注意しながら眼鏡をかけた。
 今回のことで、分かったことがひとつだけある。それは、彼の気持ちだ。それが、離れがたいあたしの気持ちの後押しをしてくれた。もう2度と会えないのだとは思わなかったけれど、それでもこんな形で再び別れてしまうことに切なさを感じてしまう。どうしてシャルルとは、いつもこんな別れ方ばかりなんだろう……?
 澄んだ夜の空には、星がきらめいていて綺麗だった。月がない夜に比べたら、きっと少ないのだろうけれど、それでも充分だと思える。それ程、素晴らしい夜空だったのよ。けれど、ここから見るこの景色は、今日で最後になるかもしれなかった。
 ガチャリと冷たい真鍮のノブを回すと、蒼白い月光に包まれて眠る人の姿が見えた。気になってそっと近付いてみると、やっぱりシャルルだ。毛布に埋もれる白金の長い髪が月の光を浴びて淡く輝き、シャルルの頬にかかっている。あたしはシャルルの頬にかかっていた髪をそっと払ってやると、彼を起こさないように静かに言った。
「ごめんね、シャルル、迷惑ばかりかけて。あたし、もう帰るね」
 シャルルを大切にしたい。
 もうあたしのことで、傷付いて欲しくない。傷付けたくない。
 だから最後に、さよなら、と告げるつもりだった。それで、お別れだと思っていた。
「――待て」
 けれど、急に腕を捕まえ、そう言われ、あたしはビックリしてしまった。反射的にシャルルの方に視線を戻すと、彼はあたしの腕を掴んだまま放そうとせず、上半身を起こして目線の高さを合わせると、もう一度同じ言葉を繰り返したのだった。
「待てよ。この気まずい状況を放って、君は行ってしまうつもりか? もう少し粘るかと思っていたんだけれど。少なくとも、昔の君ならそうしていたね」
「あたしは、変わったのよ」
 それだけ言うのが精一杯だった。突然のことに驚いて、気持ちに余裕がなかったのよ。だから幻滅したんでしょ、という言葉を飲み込んだだけでも上出来。それに、意識しないようにしているけれど、どうしても意識はシャルルに握られている腕に集中してしまうのだ。考えている暇なんてなかった。
「まあ、外見は変わってないみたいだけどね」
 からかわれている気がして、あたしはシャルルを睨み付けた。けれど、シャルルは応じた様子もなく、眼が合ったあたしを静かに見つめ返すだけだった。あたしの腕を掴んでいる手は、すぐに外れそうなほど頼りなげで、でも、決して自分からは振りほどけない不思議な力で、あたしを捕らえ続けている。





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