この星降る夜に、願いを。



3. 心の奥の闇を知っているその瞳。


 彼のことを良く知る無二の親友は、何年離れていても、彼の心が読めるみたいだ。
 そして、あたしが傷つくことを心配してくれている。あたしはそれだけで勇気が持てる気がして、よく言ったものだった。
「大丈夫よ。あたしって、タフだもの! 何度転んでも起きあがってやるわ」


 ――そうよ、このぐらいでメゲてるようじゃ、この彼を想って育てた気持ちや時間がもったいないわ。こうなることぐらい、ちゃんと予想してたんだから。ただ、考えないようにしてただけで……。第一、こんなことで素直に帰っていたら、ここまでのお金を出してもらった和矢に申し訳ない! 何のために別れてくれたと思ってるのよ!
「やい、シャルル。そう言われて、あたしが素直に帰ると思ってるの? 知ってるのよ、あんたに忙しいと言わせる程の仕事が、今日はないんだってこと」
 これは、事前に和矢が調べてくれていたことだった。アルディには今でも和矢と連絡を取ってくれる人物がいるらしく、その筋から、彼の暇な日を教えてもらって来たのだ。彼が嘘をついてまであたしと離れたいのだと思うと余計に傷ついたが、そのまま立ち止まっていると本当に彼が去って行くような気がして、あたしは無理矢理その傷口に蓋をした。
「知ってるのよ」
 でも、思ったよりも傷は深かったみたいで、そこから溢れ出る血は止めようがなく、わずかに開いた隙間から静かに流れ落ちていく。
 そんないきり立ったあたしを一瞥して立ち止まると、彼は静かにあたしに向き直った。流れている空気がこれほど息苦しく感じたのは、彼の一挙一動を見逃すまいと緊張しているからだ。あたしは、唇の震えを抑えるのが精一杯だった。
 彼はそんなあたしに気付いたのか、その唇に皮肉げな笑みを浮かべた。それは、色んな出来事を潜り抜けてきたあたしから見ても充分迫力があるもので、そこに彼の鋭い眼光が混じると、今にもメスを振りかざさんばかり。ああ、嫌な笑み!
 あたしはこれ以上傷つけられてはたまらないと考え、ぐっと力を入れると、彼の容赦ない攻撃に備えた。澄んだ青灰の瞳は冴えた色でそんなあたしをじっと見ていたけれど、やがてゆっくりと口を開いた。
「だったら、どうしたという。君が求めているものは私にはない。時間を割いてやる気にもなれないし、してやるつもりもない。君に用があっても、私にはない。帰れ」
 あたしは悔しくて、訳もなく悲しくて、俯きたい思いに捕らわれたけれど、どうしても視線は外せなかった。あたしは両手をギュッと握り、唇を強く噛みしめながら、彼の言葉を聞いていたのだった。
「あんたがあたしに用がなくても、あたしにはある、それだけで充分よ。話くらい聞いたらどうなのよ!」
「へえ、勇ましいね。その思いが時に人を傷つけることがあるって、君は自覚してるのかな」
 思い通りにならなくて、彼はわずかながら態度を変えたようだ。始めこそ穏やかだった口調も、やや早いものとなってあたしを追いつめようとしている。
 そんな彼の言葉を聞いているうちに、あたしはさっきよりも一層悲しくなってきてしまった。自分の言いたいことの半分も伝えられない、伝わらない。言い返したくても、言い返せないのだ。こんな調子じゃ、大切な言葉も見つからない。
 そう考えると、喉の奥が急に熱を持って、涙が込み上げてくるのが分かった。

「君には本当に呆れるね」

 彼は眼の色を変えることなく、そう言って言葉を切った。
 あたしを見下ろす冷たいその眼を見た途端、あたしの中で何かがぷつんと切れた気がした。そこから発生した熱はあっと言う間に体中へと駆け巡って、それまで何とか我慢して硬く閉ざしていたこの口を、遂に開かせてしまったのだった。
「じゃあ、さっきから気に障る、あんたの言葉はなによ。それは、人を傷つける言葉じゃないの!?」
 それは、人を遠ざけるために使う、彼の常套手段。あたしは興奮していて、それだと気付くのに時間がかかってしまい、ハッとした時には、もう言い終わった後だった。その間に彼は優雅に微笑んで、他人行儀な口調で再び別れを告げた。
「気に障ったらのなら失礼。これ以上あなたに傷を負わせないためにも、今ここで別れましょう。それでは、さようなら」
 そう言って、片手を上げて去って行こうとする彼のジャケットの裾を、あたしは必死の思いで掴んだ。
 ああ、あたしったら、まるで進歩がない。彼の言葉に上手く乗せられてどうするの? チャンスはこの1度しか与えてもらえないのに……何故なら、彼が絶対、阻止をすると思うから。そうなれば、手の打ちようがないことは分かり切っていたので、あたしはジャケットの裾を掴んだまま、それでもあたしを無視する彼の歩みに必至について行った。
 相変わらずのコンパスの差より、彼自身の意図する早さの方が、今のあたしには不愉快だった。





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