真昼の夢の




 それからしばらく誰も訪れることのなかった温室に、再び人がやってきた。
 規則正しい足音をさせて、夜のような濃い紺色のコートをひらりと翻し、黒い皮革の手袋を片方の手に握りしめ、長くやわらかい白金の髪を宙に舞わせ、そして、どんな表情も浮かべずに。部屋にいない彼女を探して。
 音の流れる方向は温室の一角から。彼女のいる場所は、そこに置かれている小さなソファ。そう踏んで。
 池から流れる水が話しかけてくるように軽やかな音を立てている。清らかな水の音。そこに馴染むように漂う音楽を辿ってアーチを潜ると、そこに見える彼女の姿。
 ふっと気が緩んで、意識しないうちに彼の顔に微笑みが生まれる。口元だけではなく、目元も自然と緩んでいく。彼はずっと握っていた手袋を、ようやくコートに仕舞った。

 「マリナ?」
 いつもと違った様子に、彼はそっと呼びかけた。返事はない。
 そっと溜息をついて、ラジオに手を伸ばした。――が、やはり思い止まって手を引いた。代わりに、彼女の手から今にも落ちそうな本をそっと引き抜くと、パラパラと意味もなく捲って、静かに閉じる。その間も、彼女はずっと静かだった。
 「本を読みながら寝たのか? 器用だな」
 言葉とは裏腹に優しい声音で囁き、彼女の頬をそっと愛おしそうに撫でた。
 そこからわずかな冷たさを感じ取った彼は、本をテーブルの上に置き、コートを脱いで彼女に掛けてやった。
 「今度から毛布も用意した方がいいんじゃないか?」
 彼は隣に腰かけて、彼女の寝顔をじっと見つめながら言う。答えが返ってこないので、後でまた言ってやろうと考えた。
 彼は静かに笑うと、彼女の肩に手をかけて頭をそうっと自分の膝の上に乗せた。暖かい重みが、布を通して伝わってくる。

 乱れた彼女の髪を指で梳くと、自分の温もりが残るコートを襟元まで上げてやった。




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