追い詰められた猫と噛まれそうになった鼠




 定時。彼女はいつものようにやってくる。
 ジルはその為に準備をする。丸いテーブルの上に、糊の利いた白いクロスを掛ける。さらにその上から、ピーコックブルーのクロスがもう一枚。今日は斜めに掛けることにした。そこに白いティーセットが置かれれば、今日のセッティングは完璧だ。
「マリナさん、お腹壊しませんでした?」
 深緑の布が張ってあるソファに腰を下ろしたジルは、お土産にともらったショコラをマリナにも渡しながら、話を聞いて心配する。島のほぼ中心にあるというアイスクリーム屋で、彼女が食べたアイスクリームの数を聞いてしまったのだ。もっとも、彼女にとっては大した量ではないことはわかり切っている。それでも、胃に入れる物が冷たい物となれば、話はまた別だった。
「平気。今度はね、ジェラートも食べに行きたいなっ」
 フォークで刺したショコラを口に運び、うれしそうな顔を見れば、心配は無用だったとジルは思う。マリナの相手をしていた彼もさぞかし驚いたことだろう。クスリとジルが小さく笑みを漏らしたその時、ノック音の後にマドレーヌがそっと入って来て、何か重要なことをジルに耳打ちした。
「一応、ジル様にもお通しした方がよろしいかと思いまして……」
「わかりました」
 マドレーヌがマリナに会釈をした時、その緑色の目がキラリと奇妙に輝くのを彼女は見逃さなかった。ただ、彼女はマリナが何か問いただす前に素早く立ち去ってしまったので、マリナは即座にジルの方に向き直る。いつの間にか、ジルの眼が考え深げに瞬いていた。
 おやつは一時中断だと判断して、マリナはフォークを置く。
「何か、良くないことでも起こったの?」
 こういう時のジルはそう素直に口を割ってくれない。首を左右に振るだけ。
「あっ、夕飯を出してくれないとか!?」
 出来れば遠い、場違いな方法から攻めてみる。半分は本気だということが、ジルを上手く誤魔化してくれるだろう。現に、ジルの緊張が少しだけ解けてきた。ふっと微笑む。
「違いますよ。シャルルのことで少し問題が……」
「シャルル、事故にでも遭ったの?」
「……シャルルはそんな神妙な方ではありませんよ」
 シャルルがここにいれば、まず間違いなく不愉快そうに眉をひそめることだろう。
「そうよね。じゃあ、だったら、何?」
 マドレーヌがあんな眼を向けてきたのは、自分にも関わりのあることだからだと、マリナは考えていた。今は、学会だとか何かでフランスにすらいない彼。使用人数名を引き連れての長期滞在をしているので、ここ1ヶ月というもの、マリナは彼に会っていない。電話がつい3日前にあったけれど、特に変わった様子はなかった。こっちにいたメイドと交代で帰って来た人に聞いた話でも、同じ印象を持ったことを覚えている。
 それなのに、だ。彼からの電話の後に、シャルルの身に何があったというのだろうか。
「ジル、言わないと余計に気になるものよ。おまけに、あたしって職業柄、そういう時には想像がたくましくなるの。ああ、もし、どうしても黙ってるって言うんなら、あたし……」
 最後の言葉を言う前に、ジルが止めに入ってくれた。おかげで、マリナはシャルルを危うい目に会わせなくてすんだ。頭の中で知らない暴行男にさよならをすると、長い睫の間からこちらを見つめる青灰色の瞳と眼が合った。マドレーヌが見せた奇妙な光りがジルの眼にも宿っていることを確認すると、マリナは決意を固めた。
「聞けば、きっと後悔しますよ。それでも聞きたいんですか?」
「もちろん」
 聞かずにはいられない。
 是非、聞いてみたい。
 好奇心と心配が入り交じり、マリナの瞳を強く輝かせる。頷く彼女を見ながら、ジルはそっと溜息をついた。知りませんよ、後悔しても。そう言いながら。





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