追い詰められた猫と噛まれそうになった鼠




 マリナはアイスクリームを舐めながら、不服そうなしかめっ面をしている。
「そう怒るなよ」
 横を歩きながら、ペピートは呆れたような声でなだめるが、マリナは一向に知らん振りを通している。その声音とこの誠意のみせ方が、マリナには気にくわない。つい先日に起こった出来事に対しての怒りは消えていたけれど、その後のフォローを、マリナは昨日まで行っていたのだ。ひとりで苦労を重ねていたマリナにとって、昨日今日の出来事だから、と片付けられてはたまったものではないのだ。
 どうして、アイスクリームひとつで許してもらえると思っているのよ?
 そんな子供じゃないんだから、とマリナは思っているが、少しずつ気を緩めてきていることは誤魔化していた。だからこそ、言葉を発しないことで、わずかながらに不機嫌な自分を保っていたのだ。
「せっかくサン・ルイ島まで来て、欲しいって言うから列に並んで勝ってきてやったのに」
 なら、せめて後3つくらいは欲しかった……などとは、ペピートには言えない。
 けれど、もうそろそろ彼の限界に近付いてきている。これ以上無視すると、逆キレしかねない。許さなくては。そう思って、マリナはようやくペピートを振り仰いだ。
「わかったわ、もう怒らない。だから、もう2度と彼と喧嘩しないと約束して」
 ペピート自信、あれは喧嘩だっただろうかと思ったのだが、マリナの真剣な眼差しが目の前にあったので、そうと言えずに黙り込んだ。冷静になって思い出してみれば、あれは誰の目から見ても、自分の方が一方的に彼に噛みついていたのではないだろうか。
「彼はね、自分が気に食わないと思った人間にはとっても冷酷なの。わかるでしょ?」
 この言葉にペピートは迷いもなく頷いた。あの眼は、そういう人間の持つ独特の輝きが刻まれていたからだ。平気で人を蹴落とすことが出来る冷たい眼、見合っただけですぐにその場で射止められてしまう鋭い眼。考えるよりも先に、感覚で理解する方が早かったと思い返す。
「あたしも久しぶりに見たけど、怖かったもの。ああ、でも、少しはやわらかくなったかも」
「あれでっ!?」
 思わす大きな声を出してしまったけれど、ペピートには周囲の目線など気にする以上に、驚きと疑いの気持ちで一杯だった。三日月のように鋭い凶器をあの美の中に秘めていると思うペピートは、その三日月が満ちて丸くなっていくことを想像できないでいる。
「ホント。昔は、あの眼と行動がいつも同じだったのよ。彼の眼が不敵に笑えば、その次の瞬間には必ずおとしめられてた。とにかく、警戒の絶えない人だったんだから」
 今は違うけれどね、とでも言いたげにマリナは笑ってみせた。
 けれど、17世紀のたたずまいが残るのどかで静かなこの島で、呑気にアイスクリームを食べながら言われても、ペピートにはいまいちピンとこない。強烈な印象のあの眼差しを、忘れることは出来ないのだ。それなのに、剣の先を向けられたあの時の恐怖は彼女には伝わりそうもなかった。
「ま、これからは気を付けてよね」
 だから、笑顔で注意されるのに戸惑いが浮かぶのも仕方ないと、ペピートは苦笑いした。その笑みが、切なさを孕んでいたことにも気付かずに。
「よおっし、ペピート、こうなったらここで食べ歩きツアーでもしておきましょう!!」
「はあ? あんた、何考えてるんだ!? 誰が金出すと思ってんだよ」
「あんたに決まってるでしょ。マドレーヌを誤魔化してゲームでも買おうとしてたんでしょうけど、残念ね。あたしはちゃーんと知っているのよ。バラされたくなかったら、大人しく支払いなさい!」
「……信じらんねー」
 ふっふっふ、と勝ち誇ったマリナの横顔に、ペピートはあきらめたように溜息をついた。





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