5.
「これでお終いかな?」
揶揄でもなく、嘲りの口調でもない。ただ丁寧に、シャルルは聞いただけだ。けれど、却って言外に、それはあたしをバカにしているのと同じことだった。
もうこれ以上、血が上らないんじゃないかと思うほど、顔が熱くなった。
「なんでっ、眼を閉じてくれないのよっ!!」
「どうして閉じなければいけないんだ? 君が始めに言ったんじゃないか、“受け取る必要はない”と。その必要がないということは、私は何もしなくてもいい、つまり眼を閉じる必要はない、ということだろう」
そういうことじゃない!!
――そう言えればよかったのだけれど、残念ながら、あたしの頭ではシャルルのへ理屈には到底、立ち向かうことは出来ない。たとえ反撃のカードを持っていたとしても、彼のことだ、カードを出したところで、あっという間に試合終了を告げるだろう。この片恋は、最初から最後までシャルルが有利であり、決定権は彼が握っているのだ。
ムカムカと腹が立ったあたしは、シャルルの肩を背もたれに押し付けて、もう一方の手で彼の眼を塞ぎ、身を乗り出して、覆い被さるように再び唇を合わせた。
上唇を食んで、わざとリップ音を立てる。
それを2・3度繰り返していると、ふいに、目隠ししていた手首を掴まれた。ぐいっと横に引っ張られ、シャルルの顔から手がどけられてしまう。思わず開けてしまいそうになった眼を、慌てて閉じた。今眼を開ければ、絶対にシャルルと眼が合ってしまう。眼を閉じていても感じる、すぐ傍にある視線が、そう告げていた。
あたしをじっと見て、微動だにしない。文字通り、あたしはシャルルに観察されているのだ。
唇を合わせていても、シャルルは全く動じない。手首を掴んで離さない手からは、少しだけひんやりした体温。逃れようと手に力を入れたけれど、びくともしなかった。負けてなるものかと、その間もずっとキスを続けていたけれど、目の前でシャルルが見ているのだと思うと、次第に何とも居た堪れない気持ちが降り積もってくる。
どうしてあたしが、シャルルを襲っている感じになっているのだろう?
あたしはただ、形のないもの、においのないもの、眼に見えないものをシャルルに渡したかっただけなのに、これじゃあなんだか、奪っているみたいじゃないっ!?
――もう、これ以上は、無理!!
唇を離して、シャルルと眼を合わさないように俯き、そのまま衝動的に彼の首に抱き付いて、そこに顔を埋めた。
そうしても心臓がバクバクと大きく強く拍動し、体は小刻みに震え、頭の中がもうグチャグチャで、まるで水中で溺れたかのようだった。しかも、大洪水。
「……もう……、どうして手を退けるのよ」
やっと何とか口にした言葉に、全く力が入っていない。抗議というより疑問の方が強くて、あたしはシャルルに抱き付いたまま尋ねる。今、彼の視線がどこにあるのか分からないけれど、きっと弱ったあたしを見て、経過観察を続けているのに違いない。
「どうしてって、“見られている”君の反応を見て面白がる以外、何がある?」
そうですよね……。
それ以外、考えられないわよね。ううっ……。
怒りに任せたとはいえ、ひとりで勝手にガッついて、勝手に溺れて、抱き付いて、ホント申し訳なく思ってるわ。ゴメンなさい。落ち着いたら離れるから、もうちょっと待ってね。
「………………」
シャルルの、長い溜息が聞こえた。その溜息からは、感情が読み取れない。
少しでもいい、彼の気持ちが知りたい。
今、シャルルはどんな顔してる? どんな気持ち?
……それを知るには、いつまでもこうしていては駄目だった。これじゃあ、あたしがただシャルルを襲っただけの日になってしまう。ちゃんと眼を見て、どうしても言わなくちゃならないことがまだあるんだから。沈まれ、あたしの心臓!
「シャルル、あたし、昔のシャルルも今のシャルルも、大好きだからねっ!!」
そう言い切って、最後にもう一度、白い陶器のような頬にキスをして、あたしはシャルルからようやく体を離した。
シャルルは、完璧な無表情の仮面をつけて、真っ赤になっているあたしをじっと見ていた。
そんな表情では、ずっと抱き続けて来た夢まではまだまだ遠そうだと感じる。
きっとこういう機会でもない限り、こんな風には近付けさせてはくれないだろう、物理的な距離。それよりも遥かに遠いのが、夢までの距離だ。この距離を埋めるには、まだまだ時間がかかるだろう。明日からはまた、この距離を埋める日々が続く。でも、今日は、これでお終い。
本当は、すっごく名残惜しい。
でも、これ以上、嫌われるのは嫌だ。
再会した時のように、シャルルから拒絶されるのが何より怖い。
「好きだから!」
それでも言わなきゃ。傷付くことを恐れていては、前には進めない。だから、言わなきゃ、言葉にしなきゃ、今日だけは。だって、今日はバレンタインだものっ。
どうしてこんなにも苦しいのか、どうしてこんなにも震えるのか、どうしてこんなに涙が出そうになるのか――観察でもして、これで少しは理解しろ、シャルルの馬鹿っ!!
「じゃあ、お先に! あ、イタッ!!」
焦って研究室のドアに当たるという失敗をしながら、あたしは逃げるようにシャルルが残っている部屋を出た。そうして早足で廊下を駆け抜け、何も考えずにそのまま通用口まで下りた。重い扉を開けて外に出たところで、あたしはようやく立ち止った。青く染まった空を見上げれば、そこにはキラキラと星が輝いていた。
<Fin>
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