月のない夜に、灯を。



<後半>

 男の部屋で、安穏と睡眠を貪っている女を見下ろす。
 外の灯りがカーテンの隙間から射しこみ、まっすぐ伸びた光が胸に置かれた手を闇に浮かび上がらせている。ゆっくりと規則正しく上下する胸は、彼女が眠っていることを示す。――何故そこで、という場所で。
 ――彼女は、床で寝ていた。
 ソファから落ちたという訳ではなさそうだから、恐らくは、自分から。
 涼を得ようという行為だろうことは推測できるが、感心しない。だらしない女だと蔑むだけだ。
「おい、起きろ。人に迷惑をかけるな」
 空気も凍るような冷たい目線と声音がその身に降りかかっても、マリナはムニャムニャと言葉にならない単語を吐くだけだった。
 完全に落ちているなと思えば、力が抜けた。その反動で、この能天気な頭を小突きたくなった。この頭には何が入っているのだ。もっと頭を使って考えろと、シャルルはマリナの頭の代りに自分の髪をクシャクシャと掻き乱した。このまま箱詰めにして日本に輸送してやりたいと心底思う。返品だ、こんな女は。
 それが出来たらどんなにいいだろうと、それが叶わないもどかしさを頭を振って追い出すと、シャルルはマリナの体を持ち上げた。ズッシリとした確かな重さが両腕にかかる。それを彼は、まるで荷物を扱うようにそのまま彼女を肩に担ぎ上げた。異議を唱えるようにマリナが唸る。けれど構わずに、シャルルは長い廊下に出てマリナを運ぶ。取りあえず、空いている宿泊部屋でいいだろうと、ひっそりした奥へと歩みを進めた。
「シャルル……」
 寝言だと思って無視をしようとシャルルは思っていたが、繰り返し名前を呼ばれるので、とうとう音を上げて、どうしたんだと問い返した。
「きもちわるい……」
「吐き気は?」
「ないけど、きもちわるいの」
「飲み過ぎだ」
 全てアルコールのせいにして、シャルルはそのままマリナを部屋まで運んだ。抵抗する力がないのか、マリナもそのまま運ばれ、時折「きもちわるい」を繰り返していた。
 ガランとした部屋に着くと、パイプベッドの縁にマリナは下ろされた。シャルルは何も言わず、早々に出て行こうとして、途中で止まった。振り返ると、マリナの手がシャルルの服の端を捉えている。酔っ払いにしては素早い行動に、シャルルは呆れたような顔をみせた。
「何だ」
「きもちわるいの」
 繰り返される言葉に、シャルルは長い溜息を吐かざるを得なかった。
「私にどうしろというんだ」
「お医者様でしょ。治してよ」
 シャルルから視線をそらして、伏し目がちになったマリナが苦しそうに呟く。
「分かった」
 そう言って、シャルルはマリナを抱き寄せた。
「シャ、シャルル!?」
 声だけの抵抗など構わずに、シャルルはシャツの下にあるマリナの肌に触れた。マリナの身体がビクリと跳ねる。再会した時のことを思い出して、ギュッと眼を瞑った。酔いに勝てなかったのか、心がそうさせたのか、シャルルに体重を預けるような体勢になる。
 服の中をスルスルと、シャルルの手が上ってくる。マリナは、自分の体温がこれでもかというくらいに上昇するのが分かった。心臓が早鐘のように鼓動している。頭がそれ以外、何も考えられないほど一気に頂点を極め、マリナは遂にシャルルの肩に顔を埋めてしまう。短い音が唇から漏れる。何度も呼吸を繰り返すのに、その度に胸が苦しくなる。
 シャルルの手が背中の中間くらいまで来たと思った時、ふいに、呼吸が楽なった。それから、身が軽くなるような感覚と、開放感。その感覚は、いつも感じているものだったので、マリナは今、自分が何をされたのかハッキリと認識することが出来た。不安と期待に押し潰されそうになり、ギュッとシャルルのシャツを掴む。
 ――ところが、シャルルの手はそこからスルリと下りて行き、服の裾からも手を引き抜くと、マリナの腕を掴んで自分の体から離し、腕一本分の距離をとった。
「治ったか?」
 その眼には感情の波もなく、ただひんやりと涼しい風が凪いでいるだけだった。
 マリナのような興奮も、動揺も、欠片ひとつ見つからない。
「治ったのか!?」
「……あ、うん。……治った、みたい?」
 熱が瞬く間に下がっていく。その急激な変化に対応できずに、自由になった分だけ空っぽになった空間の中で、マリナは茫然としていた。
「この部屋は自由に使ってくれて構わない。寝ろ。起きたら出て行け」
 そう言って、何事もなかったかのように、シャルルは部屋から出て行った。マリナをひとり、部屋に置き去りにして。
 これでもう当分の間は近寄って来ないだろうと、シャルルは短い息を暗い廊下に投げ捨てた。



 夜が明けると、シャルルは清々しい気持ちで自分の研究室の扉を開けた。かねてより懸案していた事柄が解決したと思っていたからだが、シャルルは少々油断していた。
「誕生日おめでとう、シャルル!」
 部屋に入った途端、横から飛んできた人物に抱き付かれて、シャルルは頬にキスを受けた。そのままギュッと抱きしめられる。急いで体を引き離すと、そこには、起きたら家に帰るようにと告げたはずのマリナの姿があった。
「どうしてここにいるっ!?」
 懸念していたことがこうも呆気なく実行されてしまった失態と、思わぬ出来事に、シャルルは動揺した。そうして亀裂が入ったそこから、怒気が静かに上へ上へと昇ってくるのが分かった。
 そのことに気付かないのか、はたまた一向に気にしていないのか、マリナはにっこり笑いながら返答した。
「だって、今日はシャルルの誕生日だもん。一番に祝いたくて!」
 その返答とその笑顔に違和感を抱いたシャルルは、あるひとつの可能性を見出した。
「…………ひょっとして、夜のことを覚えてないのか?」
「……うん。実は、お酒を飲み過ぎると記憶をなくしちゃうみたいで、昨日お酒をいっぱい飲んだことまでは覚えてるんだけど……。その後のことはさっぱり。今朝起きたら研究所にいて驚いたくらいよ」
 自分は何か変なことをしたかと尋ねるマリナに、シャルルは心の底から深い溜息をついた。そして、もう二度と、酔っぱらった彼女の面倒は見ないと、心に決めた。この歳で自分の限界も分からないような奴は、一度痛い目に合えばいい。女であることの自覚と、不用意な無防備さがどんな事態を招くのかを身を以て知るべきだ。
 まだ酒臭い彼女が押し付けた唇の辺りを、シャルルは手の甲を押しつけるようにして拭う。
 けれど、その反対側の頬に、マリナは再び口付けたので、シャルルは馬鹿馬鹿しくなってしまった。彼女のことは無視をしようと、自分のデスクに向かったが、シャルルの誕生日はまだ始まったばかりだった。



<Fin>




2015年もこのシリーズで祝ってみました。
前年と違い、この回はシャルルのSっぷりが出ているのではないかと思います。
これこそ、このシリーズの面白さですよね。

back  戻る






inserted by FC2 system