自己嫌悪の夜に、おやすみを。



1.

 持ち前の性格で、徐々に周りから攻められる。息苦しい。
 未だ充分不思議に彩られた彼女の生き生きとした茶色の瞳は、ある一瞬、その眼を細くして眩しいものでも見るようにこちらを見る。内から出る光は彼女を包み、自身を輝かせる。それこそが彼女の生きている証。

 馬鹿だバカだとは、思っていた。
 正直、あそこまで馬鹿だとは思ってもみなかった。


 ツンとした空気の中を硬質な音を響かせ、彼は長い廊下を行く。小さな明かりと記憶を頼りに暗い道の先にある部屋へと向かうが、古い壁紙や隅に広がる闇に吸い込まれて昼間の賑やかさは眠りについているため、彼の足音以外、聞こえてくるものはなかった。
 冷たい夜に光る星は故に美しく、あの吸い込まれそうな青の空に浮かぶ。
 けれど、投げかけてくる光に見向きもしないで、彼は闇に眼を向けて前を歩き続けている。それは確実に部屋に着くため。流れる時間が長く感じようが、孤独に感じようが、彼はそれを止めるつもりはなかった。背中を真っ直ぐに伸ばし、いつものように歩くだけだ。
 朝と夜に必ず受ける彼女からの挨拶の攻撃も、今晩はないだろう。今日はゆっくり眠れる。今日の酷い気分を道連れに、眠りに落ちることが出来る。共に落ちるなら、これ以上傷つくことなく深く眠ることが出来るだろうと、彼は息をつく。
 ひんやりと冷たいノブを回すと、カチャリと小さな音を立て、ドアが空気を震わせて開いた。
 出て行った時のまま時を止めた部屋の時間が、そっと動き出す。
 パチンとテーブルランプを灯せば、淡いオレンジ色の光が辺りを照らす。
 ――何故かふと気になって長椅子の傍に行って眼を凝らせば、そこにわずかな光を帯びて浮かび上がる、マリナの姿があった。彼女は背もたれにだらしなくもたれかかるようにして眼を瞑り、膝掛けだけ掛けた姿のまま、冷たい夜の中にひとりでいた。濃密な空気を身に纏って、ひとりでいた。
 闇に溶けるように風景と一体化して、人物として捉えられない。形だけのもの。
 呼吸のひとつもしてよさそうなほど静かだというのに、それさえ聞こえない。人形のように。
 肌だけが白く闇の中に浮き上がっている様は、まるで蝋人形のようだった。





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