6月の白い郵便〜ジル〜



 6月のある日、私の元に白い封筒が届いた。
 これといった特徴のない、シンプルな封筒。
 それ故に、私は何の準備も心構えもなく、封を切った。彼女からの手紙はいつだってシンプルで、その文はいたって簡素。時には、コンサートのチケットだけが入っている、ということさえあった。だからその時もいつものことだと、何も疑いもしなかった。
 まさか彼女が――…とは言わないけれど、そんな様子など微塵も感じさせなかった半年前のことを思う。新年のコンサートを終え、街も人もようやく落ち着きを取り戻した日、私達はマリナさんを外に連れ出すためにパサージュに誘ったのだった。
 パサージュとは「ガラス屋根で覆われた小路」のことで、日本でいう、アーケード商店街に当たるもののことだ。18世紀に建築されたものだが、最近ではそのレトロさが再び人気を集めている。――にもかかわらず、このパサージュは昔も今も人気がない。通りの向こうにある同じ時期・同じ建築家によって作られたパサージュとは雲泥の差だ。独特の寂しさが漂うこのパサージュは静かだが、その静けさは、図書館のような静寂さを持っている。それが、年末年始で疲れていた私達には丁度よかった。
 ノスタルジックな気持ちになりながら、様々な書物やカメラ等のアンティークを眺め、バンド・デシネの専門店へと向かう。図書館で気になった本を手に取り、その内容を確認するように、私達はゆったりとパサージュ内を巡ったのだった。
 目的を終え、観光気分でブラブラしていてもお腹は空くのだというマリナさんの為に、近くにあったカフェで少し早い昼食をとっていた時のことだ。彼女はいつものようにマリナさんとシャルルの仲をからかい始めた。
「この間、デートに行ったって聞いたけど、ふたりはどこまで行ったの?」
「どこまでって……。教会までだけど」
 あれをデートと言ってもいいのかと未だにボヤいているマリナさんが、少し頬を染めながら答えた。もうこれ以上、追及されたくないという心理の表れなのか、マリナさんはぷいっと横を向いた。
 ああっ、マリナさん。マリナさんのその行動が、苛虐心を煽るんですよ!
 ――と、出来ることならそう忠告したかった。
「なんてこった! まさかマリナちゃんがそんなところまで行ってしまっていたなんて……っ!!」
「ちょっと……教会くらいで大袈裟じゃない!?」
「大袈裟なものか! 私の知らない間に花嫁になっていたなんて……っ。私の妻になってくれるって言っていたのに……」
「言ってないし、なってないわよっ!! 大体、どうして急にそんな話になったのよ!?」
 赤くなって全力で否定するマリナさんを尻目に、目頭を押さえて俯き、力なく首を振る彼女は相当な役者だと思う。
「マリナさん、薫さんは始めからマリナさんをからかっているだけですよ」
 思わず絶句するマリナさんを見て、彼女はようやく笑み崩れた。
「だってさぁ、ふたりの関係を聞いてんのに、いきなり教会まで行ったとか言うんだもの。からかいたくもなるだろ?」
 そうしていつものように笑って過ごしていたのに、ちっとも彼女の心の変化に気付けなかった。この半年の間に、彼女に何があったのだろう。
 花嫁だ妻だとマリナさんをからかっていた彼女が、結婚するだなんて――…。


 私は音楽関係者達にそれとなく彼女の様子について聞いてみたけれど、誰も何も知らないらしく、皆一様に「変わってない」ということだった。
 誰も何も知らないというのなら、後はもう、本人に直接訊ねるより他ない。
 私は少しだけ覚悟を決め、電話帳から彼女の番号を呼び出して発信する。コール音にカウントダウンのような切迫感を感じながらじっと待つ。やがてコール音が止み、彼女の笑みを含んだテナーが聞こえた。
「ジルが何を聞きたいのか、わかってるよ。少し前にはマリナから電話があって、さんざん聞かれたからね。でも、これは、当日まで誰にも内緒なんだ。誰にも言ってない。ああ、勿論、本当に結婚するよ。嘘でも、冗談でもない。誰がこんな女を嫁にもらってくれたのか知りたければ、結婚式に出席してくれ。そのために、早々に招待状を送ったんだ。いい返事を待ってるよ。じゃあね!」
 こちらが質問する余地を与えず、彼女は一方的に喋り倒し、言いたいことだけを言って電話を切った。
 これは、私にあれこれ聞かれて探られたくない、ということだろう。
 せっかく色々な覚悟をして電話をし、質問を考えていたのにと、悔しくなった私は、目の前にあるメモ用紙を1枚手に取り、グシャグシャと丸めると、ドアに向かって思いっ切り投げつけた。
 送られてきた白い招待状にすぐさま出席の意思表示をして、アルディの力を使って1日でも早く彼女の元に届く手配をした。それからまた電話をかける。今度は、共通の友人であるマリナさんに。
「今日は暇ですか? 暇ですよね!? これからプレゼントを買いに行きませんか? 色々、お聞きしたいこともあるんです」
 手にしていた招待状を、ひらりと返す。
 そこには彼女の名前と、正体不明のアルファベットの並び。
 これは一体誰を指すのか……。結婚式まで待ってはいられないのだ。





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