Summer vacation




 軽い振動の後、車はまた滑らかに走り始めました。
 見慣れたパリの街が後へ流れていくのを横目で眺めていたのは少し前のことです。旅立つ時に感じるどこか落ち着かない気持ちは、今、最高潮に達していました。
「マリナさん、本当によろしかったのですか?」
 オロオロとした様子で、いつもとは違う普段着の私が首を回して後の席にいるマリナさんに訊ねると、隣に座っていたペピートが、窓の外に向けていた視線を車内に戻しました。
「よろしいも何も、マリナから言い出したんだから、問題ないんだろ?」
「ペピートは黙ってて!」
 ぴしゃりと弟を叱りつけ、私は再び不安顔でマリナさんの名前を呼びました。ペピートはむくれて、窓ガラスに映る私の姿に不満をぶつけています。ペピートにいくら注意しても、彼はマリナさんを呼び捨てにしてしまうのですが、マリナさんは一向に気にした気配もなく、にっこり笑いながら言いました。
「何度も言ってるでしょ、大丈夫よ。念のため、手紙も置いてきたもの。さらに念を入れて、屋敷のみんなに伝言を頼んできたんだから!」
 自信たっぷりに言い切るマリナさんを見つめ、私は興味のにままに訊ねてみました。
「どんな伝言をしたんですか?」
「机の上に置いてある手紙を見よ! ってね」
 きゃらきゃらと笑って、マリナさんは、本当は口紅を使ってバスルームに書きたかったんだけど、と付け加え、私と、そしてこっそりと盗み聞きしていたペピートを驚かせたのです。そうして、あっけらかんとして言いました。
「知らない? 日本では有名な話なのよ」
「……マリナさん、それはお話ではなくて、音楽です。歌詞ですよ」
 深い溜息をついて、私はシートに体を埋めました。後の方では、マリナさんが笑いながら、「あれ、そうだった?」と言って、自分の間違いを笑い飛ばしています。道程を半分も過ぎて、ますます不安になってしまいました。後悔、と言ってもいいかもしれないその気持ちで、私は使えている主の言葉を思い出しました。
「最近、マリナさんの様子がおかしかったでしょう? 私は、いい機会だと思います。マリナさんも時々は違う所に行ってお休みしてくればいいんですよ」
 けれど、私には、ジル様の言うおかしなところがわかりませんでした。それは、今も同じことです。マリナさんはいつもと同じように元気だし、よく食べています。いえ、食べ過ぎている……。きっと、そう思っているから、私はジル様のような考えには至らないのでしょう。それでも私は、ジル様の思いに従おうと決めていました。
「マリナさん、本当にメイドとして使っていいんですか?」
「マドレーヌ、くどいわよ」
 果たしてこれが、お休みになるのかどうか、悩みながら。





next



inserted by FC2 system