この雪降る夜に、想いを。



 冷たい風に髪を乱れさせながら、彼女は暗い空を仰ぎ続けている。
 重く空を覆う雲の色に誰を重ねて見ているのか、すぐにわかる。

 “あいつのことを想っているんだろう?”

 そう問えたらどんなにいいだろう。
 この言葉をどれだけ呑み込んだだろう。

 苦しいのはオレだけじゃない。
 ふたりともそれぞれを想って、それぞれに苦しんでいる。
 それを簡単に壊してしまうには、今はまだ時間が足りない。状況がそれを許さない。もう少し、もう少しだけ、一緒にいることを許して欲しい。だからあと少し、何も知らない振りをしよう。



 ふたりでクリスマスを祝おうと言ったのは、オレだった。
 そう言うとマリナはうれしそうに微笑んで、「じゃあ、プレゼントはマフラーがいいわ!」とのたまわった。
「マリナ、それは普通、女の子からプレゼントしてくれるものじゃないのか?」
 編んでくれとまでは言わないが、寒さが日一日と深まっていくこの季節、体を気遣ったあたたかいプレゼントを期待していた、オレが間違っていたのだろうか。
 腕の中から顔を上げたマリナは、先程の声の様子から一変して、口をへの字に曲げて不機嫌を訴えていた。睨みつけられているような、視線が痛い。
「和矢!」
 刺々しいマリナの声が、オレの名前を呼ぶ。
「誰が一体そんなこと決めたのよっ! あのね、女の子は筋肉が少ないから、男と違ってすぐに体温が下がっちゃうの。体を冷やしちゃったら、そこから色んな病気へと繋がって行くのよ!? どーするの、あたしが病気になったら! 寒いのよ、あのボロアパート!!」
 築ウン十年という彼女のアパートを思い浮かべながら、筋肉が少ない代わりに脂肪がたっぷりついた小さな体を抱きしめた。両腕を動かして、その背中をコートの上から撫でてやる。彼女がそう易々と病気にかかるとも思えなかったが、あの小さな部屋で背中を丸めながら凍えている様子は無視できないものがあった。
「わかった。マフラーでも何でもプレゼントする。何ならついでに、肉まんも付けといてやるよ、食いしん坊のマリナちゃん。また太っただろ? あー、ますます爪楊枝抱いてるみてえ」
 そう言ったら、軽い衝撃が脇を襲った。マリナが拳を当てたのだ。
「失礼ね! ただ着脹れしてるだけでしょっ。そりゃあ、この季節柄、ちょっといっぱい食べちゃって、体重計に乗るのが恐くて量ってないけど、それでも、そんな風に言われるほど太ってないわよ!!」
「わかった、わかった。オレが悪かった! おまえは太ってたんじゃなくて、着脹れしてただけだっ。信じるから、もう叩くのを止めてくれっ!」
 急いで言葉を訂正すると、ようやく彼女の攻撃が止んだ。
 ああ、骨が折れるかと思った。
 ホッと胸を撫で下ろしながら彼女を見ると、マリナは鞄から手帳を取り出して、何やら印を付けていた。
「よし、マフラーはこれで確保できたわ。残るは美女丸の湯たんぽと、薫の肌着一式ね」
「……おまえ、クリスマスの意味知ってる?」



 クリスマスシーズンに入り、街にキャロルやクリスマスソングが流れる頃になると、毎年ポストに色鮮やかなカードが投函される。差出人の名前こそないものの、送られた先から相手が誰なのか、見当はつく。手書きの文字に、彼や彼女が元気であることが窺い知れた。
 ――それから数週間後のクリスマス。
 いつもなら絶対に出ないはずなのに、その時始めてオレからの電話に出たシャルルは、挨拶もそこそこに、突然怒りをぶつけてきた。
「何故もっと早く連絡を寄越さないっ!?」
 彼がこんなに感情を表に出すとは、珍しい。これも彼女の影響かなと笑っていたら、それに気付いたシャルルがむっとしたように口を噤んだ。
「いつまで笑ってるつもりだ」
 焦れたような、呆れたような冷たい声が受話器を通して耳に響くと、我慢できなくなり、声を上げて笑ってしまった。
「元気そうで安心したよ、シャルル」
 そう言ってしまえば、シャルルは何も言えなくなってしまう。
「それで、マリナを引き取りに来いって、どういう意味なんだ?」
 カードに書いてあった言葉を思い出しながら改めて問えば、シャルルが再び勢いを取り戻して語気を強めた。その微妙な感情の変化はさすがと言っていいほど早く、言葉に詰まったシャルルはもうどこか彼方へと消えてしまっていた。
「言葉通りの意味だ。マリナを日本へ連れて帰れ」
「嫌だ」
「……何故だっ!?」
 絶望にも近い叫びがシャルルの心の奥底から響いて、空気を震わせる。体重を移動させたのだろう、ギシッという音が交じっていた。
「まず第一に、マリナはまだ帰りたくないと言っているから」
 シャルルが口を挟んでこようとしていたが、彼が何か言う前に、「それに」と素早く言葉を続ける。
「オレはもうマリナの保護者じゃない」
「当たり前だ。おまえは」
「恋人でもないぜ」
「…………」
 この言葉をきっぱりとシャルルに伝えたられたことで、オレは妙にスッキリした気分になった。これでようやく、心から彼女を応援することが出来る。これでようやく、誰に憚ることなく、彼女は友達だと言うことが出来るだろう。
「それからもうひとつ。オレはマリナの見方だ。オレはマリナを信じている。いつかきっと、マリナはおまえを手に入れるよ」
 正直、今のシャルルにマリナが魅力的に映るという確証はない。けれど、妙な確信があったのだ。それでもマリナなら、いつかきっと、シャルルを振り向かせることが出来るだろう、と。
「だから、マリナを迎えには行けない。マリナの幸せはここにはないから。マリナの幸せは、シャルル、おまえのところにあるんだろう。だから、マリナはそこにいるんじゃないのか?」
 しばらく無言を通していたシャルルは、そこでようやく口を開いた。
「オレはマリナを傷付けてばかりいる。傷付けずにはいられない。それでもか」
 その声には、初めの頃のような刺々しさはなかった。そこには、悩み、傷付き、疲れ果てたシャルルの姿があった。誰にも打ち明けることなく、ひとりで自分の気持ちと戦うシャルルの厳しさが、オレの胸を射貫いた。
「でもシャルル、それは、マリナに理解してもらいたいからじゃないのか。あの頃と違うということは、もちろんマリナだってわかっているだろう。でも、それだけで納得の行くおまえじゃない。どこがどういう風に違うのかも、理解してもらいたいんだろう」
「――そうして、昔とは違うことに絶望して、早々に出て行ってもらいたいんだけれどね、私としては」
 シャルルの言葉は皮肉の入り混じったものだったが、どこかそれを楽しんでいる風でもあった。
「君が迎えに来ないなら、彼女はまた傷付くことになるだろう。それでも私は、戦うことを止めない。君達には悪いが、私は君達の想像の上を行く。彼女の為に立ち止まるつもりは一切ない。もし君がそんな彼女を放って置くことが出来なくなって迎えに来たいと思ったら、遠慮はいらない、いつでもどうぞ」
 そうして、電話は切れた。
 そのあまりにも一方的な態度に、笑いが込み上げてくる。
 ああ、けれど、これからまたきっと、ふたりの周りは賑やかになるんだろう。

 そして、オレは空を見る。
 あの時と同じ色、青灰の雲が空を覆っている。

 雪を乗せた冷たい風が、視界をわずかに曇らせる。
 彼女が空を仰いで、切なそうに眼を細める。
 雪は後から後から降り注いで、そんな彼女を包み込む。
 彼女はそのまま眼を閉じた。まるで、そこにいない彼にキスをするように。

 あの時の彼女は、もういない。
 遠くにいる誰かを想ってひっそりと悲しむよりも、体当たりで向かって行って傷付いている方が、余程彼女らしい。生き生きとしている。オレは、そんな彼女が好きだ。
 そんなタフなマリナと戦うことを決めたシャルルの日常というものを、一度、見てみたい気がする。きっと、本人が思うほど酷くはないはずだ。もっと言えば、凄く面白そうである。

 彼女は、皆からもらったあのあたたかいプレゼントを持って、今日も体当たりな日々を過ごしているに違いない。



<Fin>


「星降る夜に〜」が出来た頃からずっと和矢目線のふたりを出したかったのです。
同時期にこのお話の元となるSSを創っていたのですが、お話の核以外は全て創り変えました。
その結果、シャルルの心も引き出すことができましたので、成功したかなと思います(本当はちょっと書き直したいんですけれど…)。
10代のシャルルがマリナを「ファム・ファタル」と呼ぶのなら、20代のシャルルにも呼ばせてみせようじゃありませんかっ!!
しかし、マリナは和矢達になんてものをプレゼントさせているのでしょうね……。

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