聖なる夜に、約束を。


 彼等のクリスマスは24日の夕方から始まる。クリスマス・イブの「Eve」は「evening」のイブ。しかも、家庭中心の静かなお祝いの日であって、決して恋人達の為にあるようなお祝いの日じゃない。家族がいない人にとっては淋しいお祝いの日よね。あたしみたいな人間は、どうして過ごせっていうのかしら。
 陰鬱さをあおるような曇り空の下、灰色に包まれた街はそれまでの色彩を欠いて重く鎮座する。寒さは人を淋しくさせる要素でもあるのか、暖かい光が灯る場所へと人は消えていく。
 あたしはと言えば、この人恋しさを解消すべく、公園の寒空の下で焼き栗を貪っていた。つまり、人恋しさを栗で埋めようとしているのよ。あったかいものっておいしいし、ただそれだけで幸せになれるじゃない。でも、ちっとも埋まりやしない。食べてる間は満ち足りているけれど、終わったらそこに何もないもの。満腹になればきっとずっと幸せを引きずっていられるだろうけれど、そんなお金も持ち合わせていないのよ。ああ、でも、この季節に太る原因が見えた気がするわ……。
 ――やっぱり、シャルルに会いたいなぁ。
 吐き出した白い息は、鉛色の雲に向かって昇って消えた。



 忙しいのはいつものこと。彼女の人恋しさに付き合ってはいられない。
 勝手に来たのだから、勝手にすればいい。けれど、彼女の感情を押し付けられることは、その範囲ではない。その寂しさに付き合う義理はない。求める相手が違う。その人恋しさを救ってほしいと望むのなら、始めから私の元に来ること自体が間違いなのだ。そう考え、再三のコールには二回目から完全無視を決め込んでいる。
 今日はノエルだ。日本人の彼女には色々と思うところもあるだろうが、それくらいは覚悟の上で来てもらわなければいけないと、冷淡にもシャルルは思っていた。
 うれしくても哀しくても寂しくても、時は流れる。無慈悲にも。
 キラキラと街灯やイルミネーションが輝き出す。街が光に包まれれば、ノエルが始まる。耳慣れたクリスマスソングやキャロルを聞きながら、教会へと人が流れる。敷石に靴音を響かせながら街角を行くが、教会に近付くにつれ、なかなか前に進めない。この日ばかりは皆、敬虔な信者になって教会へと赴く。深夜ミサだ。
 立ち寄った教会の前では、サンタクロースの格好をした人間が子供達にキャンディを配っていた。小さな子供達に囲まれて、彼はどこでも人気者である。
 シャルルはそんな小さな人込みを横目に、すっと脇を通り過ぎようとした。
「あっ」
 驚きの声が小さく上がったと思ったら、シャルルの足元にサンタの帽子が転がってきて、そのまま止まってしまった。屈んでそれを手に取ると、赤い服を着た人間が子供達をかき分けて駆けて来るのがチラリと見えた。起き上がり、帽子を叩いて渡そうと顔を上げた瞬間、衝撃を受け、シャルルは後ろへ倒れそうになった。急いでバランスをとる。
「本当に、本物っ!? 幻とか、夢とか、そっくりさんとかじゃないわよねっ」
 体を離して一呼吸置く間もなく、サンタクロースの格好をしたマリナが興奮したまま矢継ぎ早に質問してくるのを、片手を上げて止めながら、シャルルは短い間に自分が問うべきことをまとめた。
「まず、君の質問に答えよう。私は確かに君の言うところの本物のシャルルだ。私は認めたくないけれどね」
 そう言うと、マリナは頬を膨らませた。けれど、シャルルは構わずに話を進める。
「そして私からの質問だ。君はどうしてサンタの格好をしてここにいるんだ?」
「それはね、サンタをしないかって、誘われたからよ」
 ニコニコとうれしそうに答えて、マリナは胸を張ったが、シャルルの眼にはどう見ても、“サンタクロース”というよりも“クリストキント”か“マダム・ノエル”の方が妥当だろうと写る。感想を求められてそう言ったら、彼女に首を傾げられた。
「言っておくが、栗金団じゃないからな」
 釘を刺すようにそう言うと、マリナがギクリとした顔をする。深く溜息をつくシャルルに、マリナは慌てて話題を変えた。
「そ、そうだ! どうして何度も電話してるのに出てくれなかったのよ」
 その言葉にどれだけの感情と葛藤があったのか、彼は知らない。この冬の空のように、ゆっくりと見えないところで渦巻いて、天候を変化させ、雨の代わりに冷たくもやわらかい雪を降らせる、その心境を。
「然程重要だとは思えない内容だったから」
 流れるように答えたシャルルに、マリナは眉根を寄せて口を開こうとした。けれど、それよりも早く彼の方が先に言葉を紡ぐ。
「はっきり言おう。甘えさせて欲しいだけなら、他の男を当たれ。この国には、そんな男達がごまんといるだろう」
 マリナはキュッと口を結び、やがて口を開いて、静かに切り出した。
「あたしは、シャルルが好きなの。シャルルじゃなきゃ、ダメなの。そりゃあね、この国の人達は女の子には優しいけれど、でも、あたしにはそれだけじゃ物足りないのよ。シャルル、あんたじゃなきゃ、嫌なのよ。寂しい時に傍にいて欲しいのも、うれしい時に近くにいて喜んでくれるのも、異国で過ごすクリスマスも、一緒にいて欲しいのはシャルルだけなのよっ!!」
 荒い呼吸を繰り返して、挑むように見上げてくるマリナを、シャルルは冷然と見返した。そうして、ゆっくりと唇を動かす。
「熱烈な告白を、どうもありがとう。でも、私の答えは“Non”だ」
「――あたしはね、この後、皆とキャロリングに行くんだけど、シャルルはこの後どうするの?」
 彼女の話が唐突に変わってしまっても、シャルルの表情はかすかに歪むだけ。マリナは俯いたまま、顔を上げようとはしなかった。
「家に帰ってシャンパンを開ける」
「ひとり?」
「ああ」
「家で?」
「そうだ」
 訝しく思ってきたのか、シャルルの声音が徐々に変化し始めた。と、突然、マリナが勢いよく顔を上げて眼を輝かせ、「ホントに?」と問い返してきた。シャルルは嫌な予感をひしひしと感じながら、彼女の考えそうなことにあれこれと思いを巡らせてみる。けれど、それはわずかに届かなかった。
「じゃあ、あたし、終わったらすぐ行くわ! 飲んでてもいいけど、待っててね! 絶対よ。約束だからね!! この喧嘩の続きはまた後でしましょ。じゃあねっ! 帽子、ありがとう!」
 彼女の考えそうなことにあれこれと思いを巡らせてみる。
 けれど、それは所詮、己の思考に過ぎず、そこから抜け出すことはない。どこか見当もつかないところから投げかけられた断片を辿ってようやく彼女の思考に行き着く。シャルルがマリナの考えることを理解した時には、彼女はもう子供達のサンタに戻っていて、楽しそうに甘いキャンディを配っていた。
 彼はそこから視線をそらし、教会の階段に足をかける。
 ふと気付いて見上げれば、天から白い雪が舞い踊りながら降りてきたところだった。シャルルは襟を立てて重い扉の向こう側に消えた。これから厳かな儀式が始まるのだ。


  <fin>

BGM: 広瀬香美/ドラマティックに恋して


HPクリスマス企画にUPしていた「星降る夜」シリーズです。
前回と違ってこのお話はマリナ寄りのお話ですので、大分明るいものになっています。
当時TOPとして使用していたサンタの格好をしたマリナを元に創作してみました。
倒れそうになるシャルルをもっと書きたかったですが、お話の雰囲気の為カット。
予想以上に長いお話になりましたが、切る場所がなくて丸ごと載せてあります。

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