SS 60



 雪の日の朝はとても静かで、海の底にいるような、非日常な世界にいる気になる。毛布に包まれているような、このままそこにいたい気持ちにさせられる。静かな夜は怖い癖に、朝になると安らぎを覚えるのは何故だろう。
 外は寒いとわかっていても、その一面真っ白な雪の中を駆け回りたいと思うのは、マリナの中にずぶ濡れになるまで雪で楽しく遊んだ記憶があるからだろうか。
 じっと窓の外を見ていたらソワソワして、彼女はほんの少しだけ窓を開けた。途端にその隙間から冷たい風が入り込んできて、マリナの顔を撫でて部屋に流れた。眼を開けると、雪に覆われた白い町がツンとした空気の中、広がっている。古い建物と雪の組み合わせは、そこにあるだけでマリナの心をときめかせるには充分だった。感嘆の声を上げて息を吐くと、その息も白かった。
「よしっ」
 大きく頷いた彼女は、手早く身支度を整えると、白い世界に飛び出して行った。
 それからしばらく後のことだ、昼近くになってようやく戻ってきた彼女は、慎重にシャルルの部屋のドアを開けた。薄暗かった部屋に光を入れるべく、マリナは持ってきたものを崩れないようにそっとテーブルの上に置き、厚手のカーテンを開けにかかった。そうして一息つくと、くるりとベッドのある方を向く。
 薄曇りでも、朝のやわらかい光に照らされたシャルルの横顔はとても美しく、光を跳ね返す白金の髪は白い枕の上に無造作に舞っていて、その乱れた様子が、整った顔のシャルルを人たらしめていた。
 マリナは持ってきたものをシャルルの傍に移動させ、その白くて丸いフォルムを眺めて、ニッコリとほほ笑んだ。それは、先程マリナが作った雪だるまだ。これを見て、外に出ようとしないシャルルに少しでも季節感を感じてもらえればいいと思って、小さな雪だるまをお土産に持ってきたのだ。
 あなたの知らない、楽しいことがまだまだたくさんあるわよと、人に教えたくなるのは昔から変わらない。ただそれは時を得て、提示に変わった。自分を見てもらい、自分の提案する選択肢を知ってもらう。選ばれなくても、心のどこかにその提案が残っていてくれることを祈る。いつか思い出して、その人の役に立ってくれればそれでいい。そう思うようになった。
 この雪だるまも、小さいけれどそのひとつだ。「バカだな」と思ってくれてもいい、少しでも楽しんでもらえればいいと、ウキウキしながら作った。もちろん、作ってきたことをうれしいと思い、褒めてもらえるのであれば、それがマリナにとっても一番だ。
 どんな反応をしてくれるのか、色んなパターンを想像していると、すぐ横から眠そうな声が上がった。
「なに笑っているんだい、マリナちゃん」
 マリナがふと目線を下げると、青灰色の瞳を表したシャルルが、花がほころぶような笑みを浮かべている。
「おはよ、シャルル。今日は早起きね」
「君が楽しそうだったから」
 トロンとした眼差しは、シャルルがまだ覚醒していないことを表している。
「あのね、今朝は雪が積もってて……」
 上半身を起こそうとするシャルルに手を貸しながら、マリナは今朝の出来事を自分の感じたことを含めてあれこれ説明する。空気がピンと張りつめたように冷たかったこと、氷が張っていたこと、どこが道なのかわからなくて思わぬところに足を突っ込んだこと、時折ジェスチャーを交えながら、見たものや感じたことを全て話すマリナに、シャルルは眠そうにしながらも、その眼はしっかりとマリナを捉えていた。
 けれど、話が進むにつれ、シャルルが普段は押さえているむき出しの感情が、ゆっくりと、弾んだ声で楽しげに語るマリナに向かった。首を垂れて、彼女の小さな肩に額を乗せる。動物が懐くような仕草で、額を擦り付ける。髪や服から外の冷気が感じられるが、その奥にある彼女の温かさがじんわりと染み入るように伝わってくる。その温かさを呼吸すると、優しさが胸の内に広がっていくようだった。
「絶対に外に出たがらないだろうなって思って、優しいマリナさんはシャルルにお土産を持ってきたのよ。雪だるま! 後で見てね」
 こうなるとあんまりリアクションは期待できないなと思いつつ、マリナはシャルルのやわらかい髪を撫でた。自分より遥かに大きい男のはずだが、マリナはこんな風に自分に甘えてくるシャルルを可愛いと思った。
 何よりも、今日は特別な日だ。
 ベッタベタに甘やかしてあげたいと思っていたので丁度いいと、マリナは口角を上げた。
「シャルル、誕生日おめでとう」
 シャルルの白金髪にキスをして、これから1年の幸福を祈る。
 彼の近くにいて、彼を守れるように、彼を励ますことができるように、彼を止められるように。
 彼と一緒に歩いていけるように、彼と笑っていられるように。彼の涙を拭えるように。
「もうお昼になるけれど、起きたら一緒に朝ご飯食べましょう」
 そうしてふたり、これからのお話をしようと言って微笑んだ。





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