SS 54



 あ、もうダメ。
 基本的に徹夜は慣れてるのよ。一応、漫画家だから。昔は完全に世間一般から外れた夜型生活だったしね。だから、結構自信あったのよ、欧米ではお馴染みの、朝までパーティー。でも、体力的に無理だったわ……。よく考えたら、ただ座って、気力と根気のみで机に向かってるだけの仕事だった。喋ったり、笑ったり、食べたり、飲んだり、歌ったり、そんな陽気なことはしないのよ。ちょっと、なんであんた達ってば、そんなに元気なワケ?
「マリナ、おまえは、常日頃の鍛錬が足りん」
 漫画家には必要ないでしょ、そんなもん。
 それで絵が上手くなるわけじゃなし、いいストリーが浮かんでくるわけじゃなし、まして売れるワケじゃないんだからねっ。
「食ってばっかいるから、眠くなるんじゃないか?」
「満腹時に寝ると体に悪いぞ、起きろ!」
 そう言うや否や、彼によってあたしは横になっていたソファから引っぺがされた。
 失礼ねっ、食べてばっかりじゃないわよ、ちゃんとゲームにも参加してたでしょ! まったく、人を牛みたいに言わないでよね、モウ。
「マリナ、牛は反芻動物といってね……」
 わ、わ、わ、いい、いいわよ、それ以上聞くと気持ち悪くなるからっ!!
「ふーん、本当に参ってるみたいだね。おっかしいなぁ、食べてただけなのに」
 あのねぇ、食べ物を消化するのだって、エネルギーがいるのよ。今だってフル活動してんだから。あたしを体育会系なノリの日本人や、タフな欧米人と一緒にしてもらっちゃ困るわ。あたしは中学を卒業してからずっと漫画家一筋で、それからずっと運動やスポーツからかけ離れた生活を続けてきたんだから。たまに走ったりするとすぐに息切れしちゃうし、そもそも、そんなに得意じゃないのよ、体動かすのって。あたしってホント、漫画家体質。なのに、ああ、なんで売れないのかしら……。また匿名で内職にいそしもうかしら。ねえ、どう思う、ルル?
「……おい、誰だよマリナに酒を飲ませた奴は。もう酔っちまって、言ってることが意味不明になってるじゃないか」
「論点がずれていってるな」
「ルルって誰だろ?」
 そんな彼らの話を、あたしはモゴモゴと何かを喋り続けながら、ぼんやりと遠い国の出来事のように聞いていた。誰かが喋っているのはわかるのに、その内容だけが頭の中で理解されないままただ流れていく感じ。視覚はなんだか愉快なほどユラユラ揺れて、まるで陽炎のようだ。うっ、平衡感覚がおかしくなりそう。
 ああ、もうっ、そんなに揺れるんじゃないっ。
 おや。これは、何だろう? フワフワしたキレイなもの。
 触ってみると、何とも手触りのいい誰かの髪の毛だった。
 撫でたりいじったりしている内に、モヤモヤしたものが込み上げて来て、思わず、ホントに思わずギュッと髪を掴むと、髪の持ち主が短い悲鳴を上げた。
「おい、マリナ、そいつを食ってもおいしくないぞ」
「とにかく、放してやれ」
「おっ、なんだ、その捕えどころのない表情は」
「ダメだ、眼がもう完全に座ってるよ」
 彼等が何やらしきりに叫び立てている間中、あたしの視界と意識は波のように浮き沈みを繰り返し、その話の内容も、自分の思考も、ただそこにあるだけで何にもならなかった。そうして、そのままプッツリと、あたしは全ての情報を遮断してしまったのだった。


「あーあ、髪掴んだまま寝ちまった」
「何っ!?」
 それが何を意味するのか、彼等は皆わかっていたので、一様に嘆くように首を振ったり、眼に手を当てたりした。場の空気は一気に憐れみへと変わり、その視線は彼女から、髪を掴まれたままの彼へと注がれた。
「同情するなら交代して欲しいね」
 短い息を付き、吐き出すように言った彼の言葉にすら、彼等は同情した。
「マリナから解放されたいなら、その髪、あたしが切ってやろうか」
 その中でただひとり、彼女の友人である女がニヤリと笑いながら彼に声をかけた。その声音から、彼女は明らかに現状を面白がっていることが見て取れる。それを確認するまでもなく、彼は穏やかに言った。
「いや、遠慮しておくよ」
「そうか? 気が変わったらいつでも言ってくれよ、長ったらしいその髪、バッサリ切ってやるからさ」
「気が変わることはないから、安心して野菜でも何でも切っててくれ。料理が得意なんだろう?」
 互いに、表面だけはにこやかに笑んでいるが、彼らの間に流れる空気は冷ややかだった。
 ただ、彼らを取り囲む友人達の反応は当人達とは全く別物で、
「仲良しなのはいいことだね。でも、オレ達はこれからどうしたらいいか考えないと」
「マリナを無理矢理、起こしてみる?」
「いや、起きないだろ」
 などといった調子で、冷たい空気もいつものことだというように流され、話題はこの後のパーティーはどうするかという話題で白熱した。


 結局どうなったのかというと、まるで修学旅行のように、皆がひとつの部屋に集まって寝るという事態に陥ったのである。異論の声はもちろん上がった。が、他に皆が納得するような案が出なかったので、それは仕方ない結論といえた。
 そうして、なんとも賑やかで奇妙奇天烈な夜は深さを極め、やがて空が白々と明るみ出し、低かった気温がゆるゆると高くなった頃、この事態に誰より驚いたのは、何も知らないまま眼が覚めたマリナだったのは、言うまでもないことだろう。





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