SS 49



 彼は滅多に人前で自分をさらけ出したりしない。
 老若男女、誰に対しても若君然としている為、どこにいても、何をしていても、彼はその体勢を崩さなかった。
 ただ時折、決まって東京の方に赴いては、スッキリした顔をして戻って来ることから、彼の家の使用人たちは、東京には“イイ人”がいるのだろうと噂していた。その間の期間にも、小まめに電話を掛けてもいるようだったので、彼は随分と本気のようだとも言われていた。
 そんな彼がある日、東京から客が泊りに来るから客間を用意しろと言うので、屋敷は少しだけ騒然とした。
 取材だとキッパリ言っていたが、果して、本当にそれだけだろうか……?
 そろそろ男を見せる時ではないかと、妙なアドバイスをもらいながらも、彼は彼女の為に数寄屋でお茶を点てていた。特別に茶菓子を出すと言ったら喜び勇んでついて来た彼女に、練り切りは些か甘やかし過ぎたかもしれない。
 彼は、彼女のことをとても大切に扱っている。
 それを知らずに、彼女は彼のことを「時々、意地悪」だと思っていた。
「……マリナ、確かに作法は気にするなとは言った。言ったが、菓子を素手で食う奴がどこにいる!」
「ダメなら始めっからそう言ってよっ。あたしだって、食べた後、汚れた手はどうするんだろうって悩んだんだからっ!」

 ――そんなある日、彼女が車内で寝てしまったというので、彼が抱えて部屋まで運んだ。ただ、それだけでは彼女は起きない。それは彼も承知しているので、仕事を部屋に持ち込んで、彼女の眼が覚めるのを待った。
 ひとり眼が覚めて突然部屋に戻っていたら……。慣れぬ屋敷に取り残されたのだと勘違いしてしまったら……。彼女は誰に助けを求めればいいのだろう。誰に説明を求めればいいのだろう。客人である彼女が立ち入ることが出来ない場所もあるというのに。――と、彼がそこまで考えていたかどうかは不明だが、取りあえず、彼女の眼が覚めるまで彼はそこにいた。
 彼女が眼を覚まし、ぼんやりした頭のまま首を動かすと、そこには資料を片手に仕事をしている彼の姿があった。そのままじっと見つめていると、彼がふいに顔を上げたので、彼女は慌てて寝たふりをした。何故だかわからない。ただドキドキしながら、早くこの時が過ぎ去ることを願った。
 けれど、彼の手がふっと伸びて来て、やさしく頬を撫でて行ったのには、驚いてしまった。それで、バレてしまったのかもしれない。突然、彼女は鼻をつままれた。
 猛然と抗議する彼女に対して、彼は楽しそうに笑って物ともしなかった。だから、彼女は彼のことを、「やっぱり意地悪」「とっても意地悪」だと思ったのだった。





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