SS 46



 静かな薄闇の中で、あたしは不思議な夢を見る。

 暖かな日向の草の上で、あたしは漫画のプロットを書いていた。これは絶対イケると思うとうれしくて、笑いが止まらなかった。この起承転結はちょっと思い付かないわよ、誰も。逆転サヨナラ満塁ホームラン、決めてみせよーじゃないの、ふっふっふ。これでもう周りの連中に「売れない漫画家」なんて言わせないわっ!
 とその時、ふいに風が髪をそっと巻き上げて行った。後には、先程までと何ら変わらない穏やかな時間。何となく呼ばれたような気がして顔を上げると、そこに、小さな子供が立っていた。男の子のような、女の子のような……中世的で、性別がどうであろうと褒められる美しさだ。それでもあたしは、その子が男の子だということを知っていた。そうだ、確か、名前は……。
「おい、そこのイモムシ!」
 い、イモムシですってぇ!?
 せっかく可愛い容姿をしているのに、なんなの、この失礼な物言いはっ! かわいくないっ。
 さらっさらの髪とか、くりっくりのお眼々とか、通った鼻筋とか、バラのような唇とか、もう完璧に天使そのものって感じなのに、中身は悪魔なのかしら。
「おまえ、燃えてるぞ」
 ピッと、小さな手を突き出して、男の子はあたしの胸の辺りを指差した。俯くと、確かに燃えているのを感じる。けれどそれは、あたしの内側からじわじわと来るものだった。何かが、胸の奥深くで燃えている。
「ね、ねえ、何これ、何これっ」
「…………何って、知ってるはずだろ」
「知らないわっ」
「……なら、放っておけば?」
「それとも、それは放っておくのも難しいほど嫌なもの?」
 あたしはゆっくりと瞬きした。そっくり同じ顔をした男の子がふたり、並んで立っていた。でもそれは、とても自然なことのように、何の違和感もなかった。ブルーグレーの瞳が4つ、じっとあたしを見つめる。
「嫌じゃないけど……」
 “嫌いじゃないけど”
 けど、何だったかしら。
「じゃあ、それでいいじゃない」
「いつか答えがわかるよ」
 そう言って天使が笑うから、あたしもフワフワとうれしくなって、にっこりと笑って見せた。このふたりの天使は、なんて素敵なんだろう。彼等が笑っているだけで、体が軽くなって、心地好い幸福に包まれる。
「――でも、それまで少し痩せた方がいいかもね」
「ということで、蒸し風呂を用意しました〜」
 “ということで”って、どーいうこと!?
 大体、こんな所にお風呂があるはずないでしょうっ!
 せっかく幸せ気分に浸ってるのに、蒸し風呂なんて冗談じゃないわっ。入りたくない。行きたくないっ。絶対、イヤ!!
 ギュッと眼を瞑って頭をブンブン振り回している間に、あたしはいつの間にか蒸し風呂に入っていた。わーん、イヤだって言ってるのにぃっ。
 そうしてどんどん暑くなってきて、あたしはまず先にこの蒸し風呂から脱出することを考えた。これじゃあ、痩せる前に干からびちゃうもの。
 ところが、何故かどうしても身動きが取れない。慌てて辺りを見ると、なんと、あたしの両腕をふたりの天使がガッチリとホールドしていたのよっ。この子たちはやっぱり、天使の顔をした悪魔だわ。ううっ、放して、放してよっ、放せぇ〜〜!!


 ――パチリ。
 見えるのは、いつもの、見慣れた白い天井。
 ペンダントライトが下がっていて、薄暗い室内に、カーテンの隙間から漏れるまだ弱い朝の光。毎日見ている景色だ。
 安心すると、今度は自分の呼吸が乱れていることに気付いた。落ち着こうと、ゆっくりと息を吐く。興奮していたせいだろうか、何だか妙に暑い。
 気になって横を見ると、天使の顔をした悪魔が、ふわりと目蓋を閉じて眠っていた。睫毛が長い。
 ギョッとして反対側を見ると、そこにも天使の顔をした悪魔。
 …………悪夢よ。悪夢悪夢悪夢っ。ユメよ、夢っ!!
 だって、あたし、リビングのソファに寝たはずだものっ。だから、これは夢の続きなのよ。でなけりゃ、おかしいわっ! 近過ぎるっ!
 そうやってジタバタ悶えていると、両サイドから声がかかった。
「「どうしたの、マリナちゃん」」
 ああ、現実ではあり得ない程ピッタリそろったステレオサウンド。
 これが幸せな夢だったらもっと喜んで上げられたのに、残念ながら状況的にこれは悪夢なので、喜んで上げられない。
 でも、このふたりが声をそろえるからには、何らかの意図があるはず。
 あぁ、もうっ、悪夢なんてもういらないのよっ! 覚めろ、覚めろっ、目を覚ませ、あたし!!
「マリナちゃん、どうして頬なんてつねってんの?」
 右側から、物憂げで少しかすれたバリトンが、あたしに訊ねた。
「早く目が覚めないかなって、目下、努力中なのっ、邪魔しないで」
 すると今度は左側から、気怠げで透明な声がゆっくりと、あたしに終止符を打った。
「マリナちゃん、そんなことしなくても、君は今、起きているよ」
 起きている?
 起きている?
 ウソでしょう?
「――ウソでしょっ!?」
 ガバッと起き上がって、あたしはどこからともなく3枚の青いカードを取り出して、扇状にそれを広げた。カードには、太く、大きな黒文字でこう書かれてあった。

【気絶して夢だったことにする】
【あきらめてふたりと一緒に寝る】
【脱走を試みる】


 どーすんの、あたし!
 どーすんの、あたし!?
 グルグルとめまいを起こしそうになりながら、あたしの頭の中ではそれぞれのカードを選んだ場合の再現が始まった。
 夢だったことに出来るのはいいけど、結局は一緒に寝ることに変りはない訳だから、気絶なんか出来ない。もちろん、あきらめるなんて論外。何でこんな小さなベッドで男ふたりに挟まれて寝なきゃなんないのよっ。眠れるワケないでしょ――!!
 今だって必死に見ないようにしてるけど、起きた時に捲れた布団から覗く白い肌が気になって仕様がない。あたしは、暑さの原因、眠る前に包まった毛布とシーツのままだったから問題はないんだけど、さすがに裸の男がふたりというこの状態は、寝るに眠れない。
 やっぱりここは、勝負に出るしかないわねっ!
 決意して【脱走を試みる】カードを取ろうとしたけれど、その瞬間、にゅっと出て来た手があたしの右手をガシッと掴んで止めた。
「脱走を試みても失敗に終わるから」
「選ぶなら、こっちしかないだろう」
 そう言って左側から伸びて来た手が、【あきらめて一緒に寝る】カードを引いた。
 ……なんて、なんて息の合った行動だろうか。抵抗する暇さえなかった。
「「どうしたの、マリナちゃん」」
 呆然とするあたしの横で、ふたりが再びピッタリそろったサウンドを聴かせてくれた。まるで、始めからこうなることがわかっていたかのように。
「一緒に寝るんだろう」
「僕達と」
……悪夢だわ……。





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