SS 45



 体中が時折思い出したように軋む。痛みで眼が覚めた時には、少し体が大きくなっている。次第に窮屈になっていくベッドの上で、相手の存在を今ほど鬱陶しく思ったことはなかった。ただ、横を見れば、今自分がどれくらい大きくなったのかわかる。利点といえばそれくらいだ。
「どうして、隣にいるのが女の子じゃないんだろう……」
 十代後半になったもうひとりの自分――性格は全く似ていないが――が同じく思ったことを口にした。寝ているとは思わなかったが、起きている気配もないので不思議に思っていたところだった。サイドライトがぼんやりと彼を照らしている。その光と闇の中で、もぞもぞとミシェルが動いた。
「何をするつもりだ?」
「何って、そんなの決まってるだろ。女の子を運んで来るんだよ」
 女の子とは誰だ――とは、言わなかった。愚問だ。
 そんなこと、決まっている。
 すでにドアを開けて出て行こうとしているミシェルの後を追う。まだ未熟さを残す体のラインが、ガウンも羽織らず寝室から出て行ったことを告げていた。
(変態か、アイツはっ)
 自分は手早くガウンの紐を結びながら、マリナが寝ていることを願った。あんなもの、見せたくはない。
「ミシェル!」
 ようやく追いつくと、毛布の端が覗く、リビングの小さなソファの前に、ミシェルはいた。夜明け前の静寂な薄闇の中、ソファの背に上半身を乗せて、眠る彼女を見下ろしている。振り返りもせず、ミシェルはマリナを指差しする。
「こうもイモムシみたいなことされると、牽制されてるみたいで逆に燃えるよね」
「それはおまえだけだ」
 呆れながら即答すると、ミシェルは面白そうにクスクス笑った。
 裸の男にイモムシ扱いされたマリナは、ソファの上で毛布とシーツを体に巻き付けながら丸くなってすやすやと寝入っている。毛布に顔を埋めるように眠っているため、表情までは見えなかったが、穏やかな呼吸が、安寧な夢の国にいることを示していた。
 やわらかなその体の下に手を入れ、抱き上げると、頭がコツンと胸に寄せられた。眼鏡を外した凹凸のない顔が、とても無防備に見える。
「――で、お兄様は、何をしているのかな?」
「見ればわかるだろ。マリナをベッドまで運んでいるんだ」
「一体、どういう心境の変化? さっきまで僕のことを止めようとしてたよね、シャルル?」
 マリナを抱えたままわずかに振り返ると、ニヤニヤ笑うミシェルがいた。
「別に。ただ、隣に男が寝ていれば、襲う気もなくなるだろ」
「ふぅん、僕は3人だって構わないけど?」
「よし、わかった。おまえはひとりでソファに寝るんだな。お休み、ミシェル」
 そう言った切り、ひと言も発しなくなったシャルルの後ろを、数歩離れてミシェルが追った。相変らずニヤニヤと笑っていることは、振り返らなくてもわかった。
 それでもやっぱりシャルルは何も言わなかったので、ミシェルは野次を飛ばしながら行くことにした。短い距離だったが、それ自体がとても興味深い遊興だった。複数の戯言の中に、ひとつだけ真実を紛れ込ませる。真実のような戯言と、戯言に近い真実を。いつもの手だったが、シャルルは全く気付こうとしなかった。言われっ放しも嫌だろうが、気付くと余計に不愉快な気分になることも嫌なのだろう。それもわかっているから、ミシェルは野次を飛ばし続けた。
「……むっつりめ」
「何か言ったか」
 ボソッとこぼれたひと言を、シャルルは聞き逃さなかった。
 マリナをベッドに下ろしながら、シャルルは相変らず抑揚のない声音で話しかけてきた。背中を向けたまま。こちらを向く気はないらしいとわかっていながら、ミシェルはわざと相貌を崩した。
「もしかして、空耳使ってた、シャルル?」
「ん、そらみみが聞こえるな。いや、気のせいか」
「……悪かったよ。君がむっつりにならざるを得なかったのは、ぜーんぶ、僕がいるからだって、わかってるよ。でもね、シャルル、考えてご覧よ。僕がいるから君はマリナちゃんから嫌われずに済んでるんだよ。良かったじゃないか、僕がいて。……ところで、僕達は一体、どう眠ればいいのかな?」
 元々、マリナひとりが眠る為のベッドだ。そんなに大きいものではない。そこに男がふたりと女がひとり、寝ようというのだから、無理がある。
 それでも彼等は、別々のところで寝ようとは考えなかった。
「オレは男に抱きつく趣味も、抱きつかれる趣味も持ち合わせていない。……仕様がない、今回はマリナに触れても許してやる」
 本当に渋々というその感じに、ミシェルは呆れの混じった苦笑いを浮かべた。
「この状態で触れるなっていう方が無理だけど、そう言ってもらえると抱きつきやすい。ああ、でも、起きた時のマリナちゃんの反応が凄そうだね。今からドキドキするよ」
「なら、オレの分もくれてやる。半日、マリナに怒られていろ」
「いいよ。これで僕は、マリナちゃんを半日独占することが出来るってワケだ。半日、身も心も僕のもの! 僕のことだけを考えて、僕の為だけに傍にいる。素敵じゃないか」
「…………お前はもう黙って寝ろ」
 互いにベッドの両端から潜り込みながら、彼等は好き勝手なことを言った。真ん中にいるマリナの方を向き、その体に腕を回して。
 やわらかさと温かさを、再びこの腕に抱くことに喜びを感じて、何かがゆっくりと解ける感覚が体中に広がって行った。その感覚に身をゆだねると、遮光がされていない部屋にあっても、心地好い睡魔に襲われた。彼女がいれば、次に痛みで眼が覚めても、再び同じように眠りにつける気がした。





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