SS 44



「だから、オリビエは座右の銘の通り挑戦を受けたんだ」
「あの冷静沈着な男があそこまでするんだ。己の信念に反することがあったんだろう」
 どちらが兄だか弟だか、もはや見分けがつかないが、膝を突き合せ、何かに共感したように頷き合っている。先程までいがみ合っていたふたりが、いつの間にか互いの考えを議論し合い、そうして――何がどうしてそうなったのか、意気投合。仕事をしながら聞いていたマリナは、「男の子ってワケわかんないわ」と首を傾げた。
「ほら、あんた達、もう子供は寝る時間よ。ホットミルク作って上げたから、これで大人しく寝てちょうだい」
 白いマグカップを慎重に運びながら、マリナは自分の姉妹を思い出した。遠い昔の記憶を。
 今もきっと、元気でやっているだろう、と。
 それまで何やら真剣に議論していた双子がマリナの声に反応して、くるりと振り返った。そのタイミングも表情も、ピッタリと揃っている。腕を組み、気品と知性を持って輝くブルーグレーの瞳が、じっとマリナを見つめた。
 ――その時、マリナはふいに既視感を覚えた。何かに同情したくなるような。
 けれどそれは、マリナがその姿を掴む前にするりと逃げ、不思議な感覚だけを残して消えて行ってしまった。
 ホットミルクを受け取った双子の片方が両手でしっかり持ったマグカップを傾け、もう片方はブルーグレーの眼をわずかばかり細めながら、マリナを見た。その眼だけは、マリナのよく知る光を宿していた。
「オレは、子供じゃない」
「はいはい、あんたは子供じゃないわ、大人の頭脳を持った、可愛くない子供よ」
「僕は可愛い子供でしょ?」
 ホットミルクを全て飲み終え、口の周りに付いたミルクを舐め取りながら、ケロリと、もうひとりがそう言った。
「……あんた、ミシェルでしょ」
「うん、アタリ」
 マリナは意味もなく疲れ、ふうっと長い溜息を吐いた。いや、実際、マリナは疲れていた。大人の頭脳を持ち合わせているとはいえ、相手は子供だ。感情を抑え、伝えるよりも先に行動が勝ってしまい、特大のワガママを何度かぶつけられていた。大人の我儘と子供の我儘、どちらが可愛いのかという疑問がふとマリナの脳裏を掠めたが、「どっちも可愛くないわ」と、子育てに四苦八苦している親みたいな感想を抱いた。
 世のお父さん、お母さんは、本当に偉い。それが片親だった場合は、もう、本当に、物凄く偉い。どちらであっても、称賛に価する。
 明日、電話してみようかなと、マリナはマグカップを片付けながら思った。
 ――そして、唐突に、あの既視感の正体がわかったのだ。


「さあ、もうベッドに行きましょ」
「いいね、その誘い文句。もちろん、一緒に寝てくれるんだろうね?」
 マリナは(恐らくはミシェルの)おでこをペチンと叩きながら、もう片方の小さな体を抱え上げた。
「誘い文句じゃなくて、教育的指導よ。ベッドはあたしの使ってもらうけど、文句は受け付けないわよ。あたしの寝る場所を提供するんだから。お蔭で、あたしは今夜ソファに寝るんですからねっ。それから、一緒に寝るのはあんた達だから」
 暴れるふたりを無理やり寝かせて、マリナはニッコリ笑った。
「あんた達のママンは、きっとこの光景をずっと夢見てたんでしょうね」
 現実にならなかった夢。ずっと手元に置きたかった、夢。
 “こちら”を見つめる、ふたりの眼。
「…………ママンは、僕達にもっと色んなことをしたかったんだよ」
 マリナは小さく頷いた。きっと、そうだろう。まだ小さかったふたりに、様々なものを与え、その成長を見、ぬくもりを感じ、ずっと温めてきた愛を降り注ぎたかったのに違いない。自分の知らない土地に、子供をやりたくなかっただろう。たとえ、それが誰であっても。
「ママンは、『幸福な王子』が好きで、よく読んでくれていた」
 目蓋を閉じて、その隠れた瞳の中にある思い出を見るように、シャルルが呟いた。
「どこかで、王子とツバメを、僕達に重ねて見ていたんじゃないかと、今になって思うよ」
 目蓋がゆっくり開くのを、マリナは見た。藍晶石のような瞳が宙を見ている。
 自分の持っている何もかもを貧しい人々の元に運ばせた王子と、王子の為に死を覚悟して残り、話を語って聞かせたツバメ。あの街で最も尊きもの。
「まあ、でも、僕はツバメのような性格には育たなかったワケだけどねっ」
 あっけらかんとミシェルは言ったが、決して皮肉な感じはしなかった。その言葉には、悲観も後悔もなかった。マリナはそこから、彼の生まれ育った環境と持ち前の気性を感じ取った。彼が彼たる所以が、そこにある気がして笑んだ。
「ミシェルはミシェル以外の何者にもなれないし、何者にもなる必要はないわ。シャルルもよ。そのままで充分、尊いもの。あんた達のママンだって、きっとそ言うわよ。だって、あんた達のママンだもの」
 人は、幼心を取り戻すと、素直になるものだろうか。
 相手の言葉をそのまま受け入れ、いつしか、やわらかい表情で笑っているふたりがいた。

 これが母の夢だというのなら、もうしばらくこのままでいよう。





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