SS 41



 朝、何故だか苦しいと思ったら、マリナが上に乗って眠っていた。
 苦しいはずである。

 それまで幾度となく顔を合わせて来たと思っていたのは私の方だけだったみたいだ。その日からの嫌われ方は、まるで全てを否定されたみたいに私を意味もなく落ち込ませた。
 ――何故、こんなことでこんな気持ちにならなければいけないのか。
 理不尽な怒りの矛先は、事実上、マリナの飼い主に当たるカオルへと向けられた。従妹達を連れて遠くに旅立った彼女は、しかし、マリナだけは置いて行った。「あたし達がいなくなったら淋しいだろ」という理由から。思い出すだけでも腹が立つ。
 そんな気持ちのままマリナに接したら、野生の本能で何かを感じ取ったのだろう、己の体に触れさせるまいとでもいうように逃げて行った。悪循環だった。
 マリナは人見知りだったかとも思ったが、しかし、私以外の人間には人懐っこくすり寄って行く。行った先々で皆から愛されている。たとえマリナが寝ていても、通りすがりのメイド達が頭をそっと撫でて行く。マリナはそれにも全く動じることなく、気持ちよさそうに眼を瞑って大人しくしていた。
 それ故に私は、自分からは一切近寄らないことにした。
 極端といえば極端だが、怯え、逃げられるまで嫌われているのなら、仕方がない。極力会わないようにしてやるのが、お互いにとって一番いいことだろう。世話ならお節介が好きなメイドがしている。そこには最早、何の問題もなかった。

 ――だから、この光景には驚いた。
 小さくて暖かく、けれども重量感のあるその体を、どう退けようか悩んだ。が、結局そうしなかったのは、マリナが心地良さそうに眠っていたからだ。体を丸めて、安心し切った表情のマリナを見ていると、もう少しこのままでいてもいいだろうという気持ちにさせられた。
 そっと手を伸ばしてみると、やわらかい毛が指先に触れた。

 その日の午後、屋敷に一本の電話がかかってきた。
「シャルル、元気にしてる? あたしよ、マリナ。ジルが電話しろってうるさいからかけてみたんだけど、今話してても大丈夫? ……そう、よかった。あのね、薫が、“マリナ”は元気かって。いじめたりしたら国際問題にしてやるって言ってるから、気をつけてね。えっ、もちろん、猫の方よ、あたしはそこにいないんだもの、いじめようがないじゃない。……うん、すっごく楽しいわよ。今日はこの国のお菓子を食べたんだけど、こんなにおいしいものだったなんて、知らなかった! ねえ、パリでも食べられるかしら? そうそう、25日には戻るから、その日は1日空けておいてね、絶対よ。――――じゃあ、また明日、この時間に電話するわね」
 電話を切って視線を机の上に戻すと、仕事の邪魔をするように猫の“マリナ”がデンと座っている。昨日までの嫌われっぷりがまるで嘘のように、何かを訴えるような眼でこちらを見てくる。
 いじめられているのはこちらの方だ。
 溜息をひとつついて、私はそのやわらかい体に手を伸ばした。





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