SS No.39



 パチパチと途切れることなくキーボードを叩く音。
 音とという音はそれだけで、後はしんと静まり返っている。
 白い壁にはめ込まれたような小さな窓から覗く景色は、真っ白な雪模様。暗い漆黒の空を、遠目からでもわかるくらいの大きな雪が舞いながら下りて来ていた。一番綺麗な雪景色だと、何故だかそう思った。
 首を回せば、白金の髪の美人が紙と液晶の画面を交互に見ながら、すっかりワーカホリックを決めている。目の前に積まれた自分の仕事と、彼の横に積まれた紙束の量の差は、今ではすっかり同じくらいになってしまった。仕事の的確さもそうなのだが、何より集中力が凄い。先程ふざけてイスに乗ったままクルクルと回ってみたけれど、何のお咎めもなかった。気付いてすら、いないのかもしれない。
 つくまいと決めていた、溜息が思わずこぼれた。
 ヴァレンタインも、花見も、夏休みも、紅葉も、クリスマスも、どの季節の、どのイベントも、彼にとっては皆同じ日々の1日にしかすぎないに違いない。彼はそれでもいいだろうが、周りの人間はつまらない。彼のことが好きだと思う自分は、つまらない。
 ここ最近、ずっとシャルルの同じ一面しか見てないような気がする。笑みも含んでいない青灰の瞳に映るのは数字や病原。彼の瞳が求めるものは真理。真っ直ぐ前を見て、小さな光の元を探る。それを探っている時のシャルルは昔も今も変わらずの輝きを見せる。その時のシャルルは、本当に素敵だ。傍でじっと見ていたい程だけれど、残念ながら彼が生き生きとしている時間は短い。
 仕様がなくて、再び机に眼を落した。
 悔いているよりも、自分を磨くために頑張っている方がよっぽど良い。あたしらしい。
 ――よし、やってやろうじゃないの!


 それからまたパチパチとシャルルがキーボードを打つ音と、カリカリとあたしがシャープペンを走らせる音が響いて、それがいつの間にか心地よく感じられるまで時間が流れた時、ふと騒がしくなったことに気付いて、あたしは慌てて時計を見た。
 パリの時間に合わせてある時計の針が、真上を向いている。
 新しい1年の始まりだ。
「シャルル、年が明けたわよ!」
 ああ、もうっ、そう言ってワクワクしながら振り向いた、あたしの、バカっ!
 そこにいたのは、相も変わらず無表情で、絵画の中にいる人物のようなシャルル。何の感慨もなく、ただ画面だけを一心に見つめている姿。当然のことながら、ちらっともこちらを見ようとしない。
 ――悲しみを通り越して、呆れるわ、もう。
 そっとイスから立ち上がって、そろりそろりと彼の机に近付く。
 それでも、彼は眉一本動かさない。
「シャルル」
 そっと名前を呼んでみたけれど、まるで耳に入っていないみたいだ。
 ヒョイと首を傾けて、顔を覗いてみる。
 疲れを全く感じさせないほど、強く密やかに輝いている瞳、息さえ漏れないほど固く閉ざされた唇、微動だにしない横顔、止まる気配もなく滑らかに動く指。こんなに近くにいて気付かないほど集中しているのかしらとも思ったけれど、それは違うと、少女まんが界で鍛え抜いたあたしの勘が言っていた。
 ならばと、あたしは机の端を掴む手に力を入れ、ぐっと前方に体重を移動した。気付いて欲しいという気持ちと、気付かないでいて欲しいという気持ちがせめぎ合っていて、胸が苦しい。
 やがてシャルルの滑らかな頬が目の前に迫って来て、あたしは眼を閉じた。
 そうしてそっとその温もりから離れると、ようやくあたしは眼を開いた。まず最初に眼に飛び込んで来たものは、不機嫌そうなシャルルの顔だった。
「何をするんだ」
 予想通りの声音に、あたしは思わず吹き出してしまったけれど、それでもシャルルは仏頂面。その仏頂面に、あたしは笑って答えた。
「新年のキス。誰にしても良いんでしょう? 明けましておめでとう、シャルル!」





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