SS No.31



 陽の光の下で色んなものが輝いて、生き生きしている。
 一気に芽吹き出した木々の緑も、溢れ始めた花々も、何もかも。
 冬の間の陰鬱な空気はどこへやら、春はあっという間にこの街を覆ってしまったようだ。
 ひたすら隠し通してきた今日の日のことは、ジルにはバレていない。始めは非協力的だったシャルルも、最近では相談に乗ってくれたりと割と協力的だから、事は実にスムーズに運んでいる。あぁっ、早くジルのよろこぶ顔が見たいなっ。
 ――そうやって秘密事を抱えていたものだから、あたしはジルの表情が次第に曇っていくことに気付けないでいた。

 ジルが帰ってくる時間がいつもより遅い。
 そう聞いた時、きっと帰りたくないのだと、あたしは思った。心のより所を求めているのだろうと。何も考えず、安心していられる場所。絶対的な愛情を得られる場所。それは、小さい子供が手を伸ばして求めるものによく似ている。そんな場所を、ジルも求めているのだろう。
 でも、ジルならば、もうとっくに気付いているはず。
 きっとジルはここに帰ってくる。どんなに遅くなっても、きっと……。
 だから、今のあたしが出来ることは、ジルの帰りを信じて待っていることくらいだろう。でも何もしないで待っているなんて性に合わないから、そうね、おにぎりでも作って待っていようかしらね。ジルだって、お腹を空かせているかもしれないもんねっ!
 そう言うと、シャルルは何故か溜息をつきつつ左右に首を振り、自分はそれには付き合えないとばかりに部屋から出て行った。ま、きっと、GPSを確認しに行ったんだろうけど……。でも、あの呆れたような眼差しだけは許せないわね。あのねぇ、あんな風に落ち込んでいる人間は、自分の空腹に気付きにくいものなのよ。決してあたしが食べたかったから用意するんじゃないわっ。後でオレも欲しいだなんて言ってきても、上げないんだから。ふんっ。

 そうして、ひとりでご飯を炊いたり、中に入れる具を調達したりしていると、本当にあっという間に時間が流れた。草も木も花も動物も眠りについてしまった静かな夜に、あたしが出す音はどれだけこの館に響いていたのだろう。ボウルがガシャンと落ちる音に、あたしの叫び声。
 ジルは、その音を頼りに、あたしがいる厨房に入って来た。
「……マリナさん? こんな時間に何をやっているんですか?」
「あ、ジル、ちょうどいいところに来たわ! ちょっと、あたしの創作おにぎり食べていってよ!!」
 台の上に乗りながらボウルひとつ持って、床に散乱した大小様々なボウルを前に途方に暮れていたあたしに、ジルは驚きながら恐る恐る尋ね、創作という言葉に疑問の声を上げたけれど、あたしは有無を言わせずジルを中に導き、イスに座らせることに成功したのだった。ふっふっふ。これでもう逃げられないわよ。
「さ、食べてみてよ。お茶も入れて上げるからっ」
「………………」
 コトンと目の前にコップを置くと、ジルはようやく観念したようにおにぎりに手を伸ばした。
「…………マリナさん、このおにぎり、とても酸っぱいです」
「ああ、じゃあ、それは当りね。梅干しよ。やっぱりおにぎりといえば梅干しだから」
「……マリナさん、酸っぱすぎて、涙が出てきます」
「酸っぱいんだもの、仕方ないわ」
 ポロポロと、長い金色の睫毛の下から涙がこぼれ落ちて、鈍い光を反射している作業台の上に、いくつもの小さな水たまりが出来た。それでもジルの涙は止まらず、おにぎりを噛み砕く口も止まることはなかった。
「おかえり、ジル」
 コクンと頷く綺麗な金色の髪に、あたしは小さく笑って、皿の上のおにぎりに手を伸ばした。
「ああ、皆ももう少し起きていたらこのおにぎりを食べられたのに。皆酷いのよ、ご飯とスパゲッティは合わないって言うの。失礼よね。……ジル、誕生日おめでとう。パーティーの為に皆もう寝ちゃったけど、朝が来たら皆からもおめでとうって言われるから、覚悟しておいてね。きっと、今日のことなんて忘れてしまうくらい楽しいから」
「はい」
 その時、ようやくジルが、輝くような微笑みを見せてくれた。
「すごく、楽しみです」

 ――ねぇ、あたしはいつもその笑顔に救われているんだって、ジル、知らないでしょう?





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