SS 29



 花も盛りを迎えて、色鮮やかにほころんでいる。一輪だけのものも、集って咲く花も、どれもみな美しく、太陽の光に負けないくらい輝かしい。緑も色深く、地面をその身の色で染め上げている。薫風に吹かれるのは自然と一体になったようで、なかなか気持ちがいい。
 その真ん中の道を、のんびり君と歩く。
 君はその身に纏う服など全く気にした様子を見せずに、ありのままに振舞う。
 今だって、それは変わらない。まるで蝶のようにひらひらとあちこちに駆けて行く。だから、誰も彼も君に惹かれるのだろう。
「おい、マリナ、あんまりはしゃぐと転ぶぞ」
 そう言って注意したら、彼女は笑って「大丈夫よ」とでもいうように手を振った。
 短い髪が透けて、薄い茶色に縁取られる。自然と戯れる彼女は、ニンフと踊っているようにすら見える。風に舞う髪も、翻る衣も、伸ばされる腕にも、彼女達がそっといたずらを仕掛けているようだ。
「カミルス、ねぇ、見てよ、ヒヤシンスが咲いてるわ」
 そう言って、彼女は花を指差す。とてもにこやかに。とても無邪気に。
 多くの大切なものを失った今なら、手の中にある大切なものの存在と重さがよくわかる。
「引っこ抜いて球根を食べても、おいしくないぞ」
「……誰がそんなことするっていうのよ」
「おまえ」
「する訳ないでしょ、そんなことっ!」
「なんだ。てっきり、食べることだけしか考えてないのかと思った」
 言って笑うと、彼女は途端にムッとした表情になる。太陽の位置はもう天辺に掛かろうとしているから、そろそろ昼食の時間だ。
「でもお腹は空いてきただろう? そろそろ戻ろうか」
「あっ、待って、カミルス」
 踵を返そうとすると、彼女に腕を引かれた。動きを止めた手を追って彼女の顔を見る。
「頭に蝶々がとまってるの」
 彼女の眼はオレの方を向いてはいるものの、視線はそれ、上の方を見ていた。恐らく、彼女の視線の先に蝶がいるのだろう。
「だから、もう少しここでじっとしていましょう。今動いたら、蝶々が可哀相だわ」

 「ねっ」と言って同意を求める彼女を前に、「いいよ」という言葉以外、何が言えただろう?


 今日は草花を見、ヒヤシンスの香りに包まれながら、まだしばらくはこの陽の下に彼女とふたり、同じ時間を過ごすことになりそうだ。

「それにしても、何で女のあたしじゃなくて、カミルスのところにとまるのよっ」
「…………蝶に聞いてくれ」





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