Sweet Smile




 いつまでも何かを想い続けることって、凄くエネルギーがいることだと思う。
 そこまで人を熱くさせるものって、何かしら?

 私が彼女に出会ったのは、ほんの偶然。
 最初は電話で一方的に声を聞いただけだけれど、なんて鈍い女だろうと思った。それだけでも充分腹立たしいのに、彼女の姿を見た時は悔しさも交じった感情を覚えた。だって、彼女だって知っていたシャルルの秘密を、私だけ教えてもらってなかったんだもの。
 あの時兄さんが、どうして人を友達の距離においておけないのかって言ってたけれど、シャルルを友達の距離においておく方が難しいんじゃないかしら。あの時の彼女みたいに、誰か他に好きな人がいない限りは……。
 それから何年も過ぎ、互いに忙しくなって会うことも少なくなってしまったけれど、いつでもどこにいても、シャルルの噂は耳に入ってきた。たまに会うと、あの頃とは違う冷たい美を纏っている彼に甘えるのが快感だった。あんなに素晴しい頭脳と美貌を持っているのに、誰も寄せ付けない性格で特定の彼女は作らず、いつも私の我儘を昔と変わらず聞いてくれたから。私だけが彼に甘えても許される存在なのだと思っていた。

「ねえ、マリナ、どうしてその指輪欠けてるのよ?」
「え、んぐっ。……こ、これは別に、そのう、大したことじゃ」
「あっ、ねえ、よく見ると、周りも少し溶けてるような……」
 そこまで言うと、私から自分の手を取り戻した彼女はその手を後ろに隠しながら、首を左右にプルプルと振り始めて言った。
「き、ききき気のせいよ、見間違いよ。幻を見たのよ、きっと。そうよ、そうに違いないわっ」
 ……まあぁ、アヤシイ。
 きっと何かあるに違いないわよ。
 疑わしい眼で彼女のことを見、料理を一口。シェフが腕を振るった料理は絶品で、とろける様な舌触りがたまらなかった。シャルルが選んだものだと思って感心していたら、横にいるマリナの好物だった。
「うう〜ん、やっぱりいつ食べてもおいしいっ。さすがシェフ、あたしの好きなものよく知ってるわ!!」
 聞くと、出ているもののほとんどが彼女が特に好きな食べ物であるらしい。
 私、どんな食べ物でも彼女の好物になるのかと思ってたわ。彼女に食べられないものって、ないと思うもの。たとえば、私が不味いと思ったものでも彼女はお構いなしに食べちゃうし、見ているこっちの食が落ちてしまうくらいの、旺盛な食欲を持っている。
「マリナ、あなた、後ろのファスナーが開かなくなるようなことするの、やめなさいよ。後で泣いて後悔しても知らないわよ!」
 そう言ったら、ほんの一瞬だけマリナの動きが止まって、くるりとゆっくり振り返った。
「そういうこと言うのやめてよ、食欲落ちちゃうじゃないっ」
「マリナは食欲が落ちたくらいがちょうどいい」
 私が言おうとしていたことを、誰かが先にマリナに言った。ふたりして驚き、振り返ると、そこには優美な雰囲気を纏いながら微笑んでいるシャルルの姿があった。久しぶりに会った彼は相変わらず物憂げで、辛辣さをそのまま移した瞳の色をしていた。
 彼はマリナの皿からチーズをひょいと摘むと、そのまま自分の口に放り込む。その行動を、マリナは腕を掴んで止めようとしていたけれど、それは無駄な努力だった。だって、わずかにシャルルの方が動きが早かったもの。勝負は最初からついていた。
「もうっ、何で、自分で取ろうとしないのよ!!」
「少しは自粛することも覚えてもらおうと思っての行動だよ」
「これでも自粛してるのっ」
 眉を上げて怒るマリナを、シャルルは眼を細めて見ている。
 ――その時私が感じた違和感を、何と言えばいいだろう。
 あんな子供じみた行動をシャルルが取るとは思わなかったし、彼が自らこんな風に話しかけてくるのを見るのも初めてだったけれど、それよりももっと大きな違和感が私を包み込んで、その場から動けなくしていた。
 その違和感が何なのかわからずに、懸命にその違和感の正体を見つけようと佇んでいると、シャルルがふっとこちらに視線を向けてかすかに表情を曇らせた。そう、彼は決して皆が思っている程冷たい人間じゃない。確かに目的のためなら何でもするような人だし、自尊心を傷つけるようなことを平気で口にするような人だけど、誰かのために、その時その場にある力で最善を尽くそうとする人でもあった。
「どうかしたのか?」
 自分の孤独をちゃんと知っていて、それでもなおまっすぐに立とうとする人。
 その迷いのない冷めたところが好きだった。
 シャルルは私に優しくしてくれるけれど、絶対に自分の内には入れてくれないことはわかっていた。だから、私は自由に甘えることが出来たのだ。好きに我儘を言えた。まさか彼がその扉を開いてみせる人が現れるとは思ってもいなかった。
「ねえ、シャルル。私もあの指輪が欲しいわ。だって宝石で出来た指輪ならたくさんあるけれど、あれは飴細工でしょう。あんなに美しくて盗られる心配をしなくてもいい指輪なんて、他にないじゃない? 私、今度の誕生日には飴細工の指輪がいいわ」
 仰ぎ見て微笑めば、彼はいつもの上品な笑みを浮かべて首を振った。
「ミズキにはミズキに合ったものをプレゼントして上げるよ」
 ほら、やっぱり。
「あれはシャルルがマリナにプレゼントしたものだったのね。ずるいわ、私には一度もあんな素敵なプレゼント贈ってくれたことないのに」
 軽く睨むと、シャルルはこの上なく優しい笑みを浮かべて眼を伏せた。
「マリナは特別なんだ。……何せ、『花より団子』だからね」
 その言葉を聞いてマリナは怒ったけれど、シャルルは楽しそうに笑うばかり。つられて、私も一緒に笑った。
 笑って、そうしてようやく納得した。
 シャルルはもう、私の我儘を聞いてくれることも、パーティーで私の手を取ってくれることもない。彼の手は、遂に選んでしまったのだ。たったひとりのパートナーを。
 やわらかく微笑み、彼女の前で彼は“人”になった。美し過ぎて近寄りがたかった雰囲気がほんの少しだけ和らぎ、人間的な魅力が加わっている。私が感じていた違和感の正体は、この彼の表情だった。
 彼女以外の誰がこの表情を引き出せただろう。
 もう何年も彼の心の奥にその比重を置かせ、永遠に輝くはずだった恋の灯を自らの手で地上に戻してしまう程の影響力を、マリナ以外の誰が持っているだろう。
 今、シャルルは、マリナにもう一度恋をしているのだ。
 今まで見たどんなシャルルよりも魅力的に見えるこの笑みは、全て彼女のものなのだ。
「シャルル、がんばってね」
 マリナを相手に恋をすることは、きっと、ずっと想い続けることより何倍ものエネルギーがいるだろう。
 それでも緑広がる荊棘の道を歩み始めた彼に、私は以前よりも強く惹かれる魅力を感じた。



  <end>


キリ番に応えて創ったものですが、お話は「花を盗む人」のパーティー内の出来事として登場しています。
例によって例のごとく、同時期に創っていた為です。
瑞樹(旧花織シリーズ)の視点から、新しい(?)シャルマリを発見していただければ幸いです。
もちろん、瑞貴のことを忘れてしまっていても読めるようにはしてありますが、少しでも興味を持ってもらえたら大成功です。
うん、全くの別人っぽいですけれどね。

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