木漏れ日




 季節の花々が咲いては散り、咲いては散り、次の花へとそのバトンを回す。季節がいつの間にかゆっくりと回っていることに気付けば、あの辛い日々も、いつしか過去のことになっていた。それでも、自分の中に眠る記憶は生々しい傷跡を見せている。

 ――苦い、思い出だ。

 あの頃の未熟な心と、ドロリと広がる嫌悪の感情。
 「好き」と「嫌い」が渾然一体となって押し寄せてくることに疲れてしまえば、それが終わりの合図を告げた。涙は出なかった。ただ、今もどこかでしくしくと胸が痛む。

 書斎から勝手に拝借してきた本をぶら下げて庭に出る。風に清々しい香りを乗せ、蒼々とした緑が光り輝く。見上げれば、どこまでも高い空がある。そんな戸外で楽しむ読書が、美馬は好きだった。何より、時間を忘れていられるのがいい。
 彼は、適当に選んだ木の下のベンチに腰を下ろした。表紙を捲り、色あせた紙に指を滑らせて文字を追う。やがて意識が文章に集中して、文や文字の間から垣間見れる世界に夢中になって後を追っていけば、自分が感じる感覚さえも煩わしくなるのがいつものパターンだ。けれどその前に、美馬は、草を分ける音に気付いて顔を上げた。
 見れば、垣根からひょっこりとマリナが這い出て来るところだった。
「髪に葉っぱが絡まってるよ、おてんばさん」
 驚いたように顔を上げたマリナはあんぐりと口を開け、慌てて髪を払う。
「今のは内緒にしてっ」
 追い詰められた表情で見上げ、訴えてくるマリナに、美馬はクスリと笑みを漏らした。
「オーケー、いいよ。特に、シャルルには内緒にしておく」
「美馬さんは、読書してたの?」
 ホッと安堵した後、背後のベンチに目を止めてそう訊ねるマリナは、本当に目聡い。立ち上がったマリナと一緒にそのままベンチに腰かけたのは、何故だろう。マリナには不思議な力がある。傍にいるのがごく当たり前のように思わせる、何か。
 ――彼女のことを考える。好きだと言ったのに離れていってしまった彼女のことを。
 あり得ない「もしも」を考えて息をつく。出てくる答えはいつも同じ。“あれが最善の方法だった”そう、今も思っている。
「美馬さん?」
 ふと我に返れば、マリナが心配そうに顔を覗いていた。
「ああ、ゴメン。……木漏れ日が、とても綺麗だなって思って見とれてた」
 キラキラと降り注いで落ちる光は、草の上や自分たちの上に斑模様をつける。口をついて出てきた嘘の上にも斑模様ができたのだろうか、マリナの眼が細くなった。
「マリナちゃんは、今、好きな人いる?」
 シャルルがマリナのことをどう想っているか知っていたけれど、美馬はマリナ自身のことを聞いた。マリナは突然のその質問に、驚きもせずに答える。ゆっくりと眼が伏せられていく様子を、美馬はじっと見ていた。
「……いない。けど、気になる人ならいるわ」
「そう、上手くいくといいね」
 たとえその相手がシャルルではなくても。美馬は、マリナの恋を応援したかった。相手がシャルルであればそれが一番いいけれど、そうならない場合もある。
「オレには、もう、そんな風に恋なんて出来ないな」
 クスッと笑って漏らしたら、今度こそマリナは吃驚し、どうしてと尋ねた。
「出来ないというより、したくないんだろうね。真っ直ぐな愛を信じることが出来なくなってしまったから」
 時に身勝手であり、そこに自分の思いが入っている限り、どんなに相手を想っていてもどこかで必ずゆがみが生じる。矛盾を含んでいるのだ。またそうでなくとも、それはとてつもないエネルギーを必要とする。やり取りに疲れ、痛手を負い、精神を摩耗させた美馬は、もう恋なんてしたくないと、そう思っていた。
「好きだったんですね……」
 美馬がマリナの方を向くと、彼女はまるで天気の話でもしていたみたいに空を見上げていた。美馬の視線に気づくと、マリナはちょっと笑って言葉を付け加える。
「だって、好きじゃなかったら、そんなに傷付きもしないでしょう? そんな状態になる程、美馬さんはその人のことが好きだったのよ。そんな大切な気持ちまで歪めてしまったら、自分がわからなくなってしまうわ。全部引っくるめて美馬さんなのに。――それにね、可哀相よ」
「可哀相?」
「そう! どこかにきっといると思うもの、美馬さんを心から満たしてくれる人が。だって美馬さんは、とっても素敵な人だもの。その人のためにも、また恋をしなくちゃ、未来の恋人が泣いちゃうわ」
 言いたいことを言って、マリナは大きく手を振りながら屋敷に戻って行った。太陽のように真っ直ぐなマリナに照らされて、美馬は、ただ無防備に光を浴びて風に揺れる、木の葉にでもなったような気分だった。
 心地よい冷たい風がふぅっと通り過ぎ、美馬の中にある木の葉が音を立てて、彼にそっと何事かを囁いた。



  <end>


Present for ベル


美馬さんのことが大好きで、美馬さんのことを熱く語って下さった方にプレゼントしました。もちろん、このお話は美馬さんが主役!
このお話は、美馬さんが真っ直ぐな愛を信じ、次の恋を探してくれればいいなぁという気持ちで創ったものです。
が、しかし、それまではまだほんの少し時間がかかりそうかな。うーん。




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