呪いは解かない




 夢を見ている。
 ハッキリとそうわかるほどに、それはあり得なかった。

 幼さが浮かぶ、大きい眼をした懐かしい顔は、あたしの眼の前で穏やかに笑みを浮かべている。整った顔をしているだけに、そうすると本当に美人で、道さえ間違わなければ老若男女で人気が出たことだろう。
 ――あたしはそんな彼女と、楽しくお喋りをしていた。
 秘密を打ち明けるようにヒソヒソと声を落したり、冗談を言って笑い合ったり、クスクスと互いの話に笑みを漏らすこともあった。終始あたし達は上機嫌で、まるでずっと前からそうだったかのように心をさらけ出していた。
 彼女は言う。
「マリナって面白いわね」
 何度も、そう繰り返していた。まるで、確認でもするように。
 そう言われる度に、あたしは胸が痛んだ。
 けれど、そうしている内に、そんな楽しい時もついに終わりがやって来た。
「あたし、もうそろそろ行かなくちゃ」
 まるで話の延長線上のように、軽やかに彼女が切り出したのだ。すっくと立ち上がった彼女は、光を背に受けてニッコリと笑っていた。あたしは、眼を細める。きっと、眩しくて。
「最後に、あなたにかけた呪いを解いてあげるわ、マリナ」
 ドキリとした。
 そこから妙に現実的になって、彼女がハッキリとそこに立っていることがわかった。そして、胸の奥の方から感じる、鼓動も。
「あなたの体の中に眠らせておいた苗が、その成長のまま、再び芽吹き出すように。そしてもうひとつ、恋をしているなら、その男ととこしえに結ばれるように」
 にっこりと、美しいと思える笑みをたたえた彼女は、しかし、その笑みのまま、最後に呪いの言葉を口にしたのだった。
「けれど、……あなたの初恋は実りませんように」
「えっ、どうして!?」
 どうして最後になって呪われなきゃならないの。これって、あれかしら、良い話で釣っておいて最後にはやっぱり崖から突き落とされる……飴と鞭みたいな……良い話には罠があるとか……そういう類の話だったの!?
 あまりに突然の出来事に衝撃を受けていると、そんなあたしの様子を見て、彼女がたまらなく可笑しそうに笑い始めた。顔を伏せて、小刻みに肩を震わせている。
 ……そんなに面白い顔してたかしら、あたし。
「ごめん、ごめん。これが本当に最後だから、やっぱり呪いもあった方が、あたしらしいかと思って」
 そんなとんでもないことを言って顔を上げた彼女の眼には、涙がきらめいていた。彼女はそれを指で拭いながら、やっぱり笑顔のままで理由を言おうとした。
「それにね、義理とはいえ、息子には幸せになってもらいたいから」
 けれど、涙を拭おうとすればするほど、笑顔を見せようとすればするほど、その涙はとめどなく溢れ出て来て、彼女のやわらかい頬を濡らしていく。その瞳の奥で、どうしようもないほどの悲しさと悔しさ、喜びと切なさとが混ざり合って、純粋な心に帰った彼女の魂を一層輝かせていた。
 あたしはたまらなくなって、彼女を力いっぱい抱きしめた。
 言葉に詰まって、それしか自分に出来ることはなかった。それが、今のあたしに出来る精一杯だった。
 言いたくないなら、言わなくていい。
 笑うことが難しいなら、笑わなくてもいい。
 どこかで無理をしているのじゃなかったら、涙なんて出る訳がないのだから。
「あたしの前で無理する必要なんてないわ。だって、あんたの悪いところ全部知ってるんだから。これ以上失うものなんてないでしょう?」
 呼吸が元に戻ってきて落ち着くと、あたし達は体を離して、互いの顔を見て笑った。眼の縁が赤かった。
「ありがとう」
 少し恥ずかしそうに言って、彼女は微笑んだ。
「もう少しで夜が明けるわ……。お別れよ、マリナ。元気でね」
「最後に会えてよかった」
「あたしもよ」
 さよならを言わなかったあたしに、彼女はまた可笑しそうに笑って、軽く手を振った。


 胸を締め付けられるような淋しさと切なさだけが心に残ったまま――眼が覚めた。
 体を起こした途端、涙が流れた。
 涙は正直だ。自分の心でさえ自身に対して嘘をつくことを考えれば、眼はとても正直だ。
 あの時、彼女の眼はとても真摯で、冗談を言っているようには見えなかった。
 そっとカーテンの隙間を覗くと、優しい朝の光が、様々なものの輪郭を浮かび上がらせているところだった。紡ぎ出される世界はあたたかく、やさしく、切なさを秘めている。
 何年も、繰り返し同じ夢を見るけれど、結局、あの呪いを解かれたことはまだ一度もない。何故か、解こうという意思もない。――今のところ、解く予定もない。
 どこか、木々の間から、鳥が静かに朝を歌う。どこからか、確かに、人が動いている音がする。そこかしこから、朝が始まりを告げている。涙で目覚めたその後でさえ、朝は必ずやって来る。
 あたしは夢を思い出しながら、今日は、雪の中でも春を告げるという、真っ白な花を持って行こうと決めた。



  <end>



SSシリーズ No.5の後くらいのお話。
タイトルもお話を考えた上でつけたものですが、
それだけをみると、入り辛いですよね(苦笑)。

“彼女”とは、もちろん、マリナの元同級生であり、和矢のママンを殺害した人物であり、シャルルの義母(?)であるアノ方です。
無理矢理にでもハッピーエンドな方向へ持って行こうとする私の特性が表れているお話。


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